メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

[10]「性的解放」と「禁制」考 『晩春』3

引き裂かれた原節子の内面

末延芳晴 評論家

奇妙な道路交通標識と速度制限標識

 『晩春』において、「子殺し」と「父殺し」の主題をよりドラマチックに引き出すために打たれた布石として、原節子が宇佐美淳と並んで湘南の海岸をサイクリングするシーンが意味するものについて、前回は、自転車を漕ぐ原節子の胸やお尻の動きから表出されてくる性的イメージについて、私の目が見抜いてしまったものを記したわけだが、問題は、小津安二郎監督が、なぜこのような、見える者の目には見えてしまうという、あからさまな形で原節子の身体生理そのものから放出される「性」に対する本能的欲求、あるいは願望を写し撮ったのかということにある。

 以下、この問題についてさらに踏み込んで検証していきたいが、その前に、このサイクリングのシーンが意味するものについて、私の「目」が読み取ったものをもう少し詳しく記しておきたい。

 まずはじめに、画面の流れを再現しておくと、前回詳しく見たように、カメラは節度のある距離を保ちながら、やや危なっかしい姿勢で自転車を漕いでいく原節子の下着が透けて見える背中や肉感も露わなお尻、さらには乳房や乳首のふくらみを、見えるものには見え、気がつく者には気がつくといった形で、かなり執拗に低いアングルから追ったあと、画面右手、引いた距離から波光きらめく湘南の海をバックに疾走する原節子と宇佐美淳を映し出す。

 やがてカメラは切り替わり、原の前方、斜め下から風になびく黒髪を手でかき上げ、幸福そうに瞳を輝かせ、笑顔で疾走する原を映したあと、にわかに左後方、斜め下から見上げる形で、英語で「NO 154」、「CAPACITY 30 TON」と書かれた木製の道路交通標識と、「SPEED」、「時速35哩」、「35MPH」と3段に分けて書かれた速度制限標識が映り、原と宇佐美がその横を走り抜けていく。

明治40年頃の巡礼街道。道路は舗装されておらず、農夫が馬車を引いてのんびり歩いていた=筆者所蔵拡大【写真1】 明治40年頃の巡礼街道。道路は舗装されておらず、農夫が馬車を引いてのんびり歩いていた=筆者所蔵
 このシーンで原と宇佐美が自転車を走らせている道路は、かつては鎌倉の鶴岡八幡宮に参拝する巡礼が通った道ということで、「巡礼街道」と呼ばれていた。

 写真1の江の島を望む稲村ヶ崎の辺りから撮られた明治末期発行の手彩色絵葉書の画像を見れば分かるように、当時は、舗装もされておらず、農夫が馬車を引いてのんびり歩むローカルな道に過ぎなかった。

 それが、1920(大正9)年に県道に指定され、さらに昭和恐慌の影響で失業者が増大するなか、1930年から神奈川県が失業対策事業として、道路の整備・拡張・延長工事を行い、横須賀から神奈川県中央部の大磯まで、海岸線に沿っておよそ60キロをつなぐ工事が、1935(昭和10)年7月に完成し、「湘南海岸道路」として開通。戦後の1953(昭和28)年に二級国道134号横須賀大磯線に指定されたうえで、1965(昭和40)年に一級国道に格上げされ、今日に至っている。

今から69年前、『晩春』が撮影された当時の湘南海岸道路(国道134号線)=写真は、『晩春』のDVDより筆者作成(以下の作品写真も同様)

拡大【写真2】 今から69年前、『晩春』が撮影された当時の湘南海岸道路(国道134号線)=写真は、『晩春』のDVDより筆者作成(以下の作品写真も同様)
 写真2を見れば分かるように、『晩春』が撮影された昭和23~24年当時は、沿線には茫漠として砂地が広がるだけで、建物や街灯もない田舎道に過ぎなかったが、道路が国道に指定され、日本が高度経済成長期に入るころから、道路の整備が一層進み、一般住宅や別荘が建つようになり、商業施設も増え、さらにまた自動車の普及と共に、夏のバカンス・シーズンには東京や横浜などの大都市圏から海水浴客が、大挙押し掛けるようになり、混雑・渋滞を来すようになった。

現在の湘南海岸道路。小津安二郎が『晩春』の

シナリオを書いた時に泊まった茅ヶ崎館付近で筆者撮影拡大【写真3】 現在の湘南海岸道路。小津安二郎が『晩春』のシナリオを書いた時に泊まった茅ヶ崎館付近で筆者撮影
 写真3の画像は、今年(2016年)の7月、小津安二郎が野田高梧と『晩春』のシナリオを共同執筆した際に泊まった旅館、茅ケ崎館の庭から出て、200メートルほど進み、海岸の砂浜に出る手前を東西に走る国道134号を撮影したものだが、『晩春』が撮影されてから60余年、原節子が自転車を疾走させた当時の面影はどこにも残っていない。皮肉なことに、監督小津安二郎の根本思想の一つとされる「無常」は、このような形で証明されていることになる。

性的禁制の表象として ・・・ログインして読む
(残り:約1854文字/本文:約3499文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

末延芳晴

末延芳晴(すえのぶ・よしはる) 評論家

1942年生まれ。東京大学文学部中国文学科卒業、同大学院修士課程中退。1973年から1998年までニューヨークに在住。2012年、『正岡子規、従軍す』で第24回和辻哲郎文化賞受賞。『原節子、号泣す』(集英社新書)、『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(平凡社)、『夏目金之助ロンドンに狂せり』(青土社)など著書多数。ブログ:「子規 折々の草花写真帖」