多田裕美子 著
2016年09月09日
東京の台東区と荒川区にまたがる日雇い労働者の街、山谷(さんや)。簡易宿泊所(ドヤ)が軒を連ね、大阪の釜ヶ崎、横浜の寿町とならぶ「寄せ場」として知られている。高度成長期、地方から出稼ぎにきた人々は、この場所で仕事を得、寝泊まりし、都心につぎつぎとビルや道路、地下鉄を完成させていった。
だが、バブル崩壊後、日雇いの仕事は激減し、路上生活者が街にあふれた。山谷で食堂を営む両親のもとで育った写真家・多田裕美子が彼らに目を向けたのは、ちょうどそのころだった。幼いときには気づかなかった、街と人のすがた。1999年から2年間、山谷にある玉姫公園に毎週通って、120人の男たちの肖像を撮った。本書には、それらの写真と当時の思い出をつづった文章がおさめられている。
彼女が写した男たちは、やさしく、力強く、ときに滑稽で、個としての圧倒的な存在感を放っている。彼らの人生が凝縮されたようなポートレイトだ。ため息が出るほど、美しいと思う。
「ありがちな山谷の写真は撮りたくなかった。テレビや新聞の報道では、孤独や貧困、暴力や危険なイメージをかりたてる映像ばかりが、垂れ流されていた。それも虚像ではないのだが、あまりにもそればかりだった。/けんかをしたり、酔っぱらって路上に倒れていたり、暴動シーンだったり、山谷の男たちはそんな報道に嫌気がさし、辟易していた。だからカメラなどぶら下げて歩いていようものなら、カメラは取り上げられ壊されてもおかしくなかった。/背景も写らない、あえて山谷といわないと、どこで撮った写真かはわからない、山谷の男の顔、姿だけで、見る人が何かかき立てられるポートレイトを撮りたかった。山谷の男だけがもっている、もたされている生の証を写したかった。」
多田は、公園で男たちと花札をし、酒を呑み、自分から彼らに近づいていった。無断で撮らず、本名を告げ、撮った人にはかならず写真を渡した。
写真嫌いのはずの山谷の男たちが、「写真屋のネエちゃん」のカメラの前では、自分をさらけだした。殴られて鼻が曲がっている顔、指のない刺青の体、路上の風雪を刻まれた顔、じっと見据えた眼。撮影を意識しておしゃれをしてくる人もいる。まっとうに生きてきた、愛おしい男たち。
「優しさと怒りが極端に強い街、自分と同じひとりがいる街、過去を語らず、ひたすら酒を呑む男たち、滑稽なくらい最後まで、自分と生きた男たちがいた街」。それが山谷だった。
この街に生きる人々は、「さんや」とは言わず「ヤマ」と呼ぶ。誇り高き、いきがる男たちには、この呼び方が似合っている。多田裕美子が写真と文章で刻みつけた彼らの生は、時をこえた輝きを私たちに見せつける。光と闇の芸術である写真に、彼らほどふさわしい被写体はいない。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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