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[書評]『伊勢屋稲荷に犬の糞』

仁科邦男 著

奥 武則 法政大学教授

犬から浮かぶリアルな江戸 

 犬と人間をめぐる独創的な本である。

『伊勢屋稲荷に犬の糞——江戸の町は犬だらけ』(仁科邦男 著 草思社) 定価:本体1500円+税拡大『伊勢屋稲荷に犬の糞——江戸の町は犬だらけ』(仁科邦男 著 草思社) 定価:本体1500円+税
 何が独創的か、と言えば、まずは着眼。書名となっている言葉は、たいていの人は知っているだろう。江戸の町に多いものを列挙した諺、というか一種の言葉遊びである。

 しかし、「江戸は本当に犬の糞が多い町だったのかなあ?」「この言葉はいつごろから使われるようになったのかなあ?」。こんな疑問を持って調べてみようと思った人は、これまで、たぶん、だれもいない。

 かの司馬遼太郎も、伊勢出身の豪商河村瑞賢を主人公にした短編「川あさり十右衛門」という短編で、考証なしに「当時江戸では、『江戸に多きものは、伊勢屋、稲荷に犬のくそ』といわれた」と記してしまっているのだ。

 江戸初期の軍学者大道寺友山の語りを筆録した『落穂集』に、自分の若いころの話として、江戸町方では犬はほとんど見かけなかったとあるそうだ。明暦の大火(1657年)以前のことらしい。

 なぜ、犬が少なったのかと言えば、これも友山が語っている。犬食いが多かったのである。

 犬が少なければ、犬の糞も少なかったはずだ。しかし、その後、犬の数は確実に増えていく。犬食いは野蛮な行為として嫌われるようになったことなど、さまざま要因が考えられる。

 江戸はリサイクル社会だった。人の屎尿(しにょう)はもとより、馬糞、牛糞、わらじ、紙くずなどが回収され、肥料や燃料になった。だが、犬の糞だけは路上に放置された。

 犬の糞は肥料にならないというのが江戸時代の常識だった。「犬の糞横丁」と通称された場所があちこちにあったという。

 つまり、「伊勢屋稲荷に犬の糞」はまちがいではない(ちなみに、「伊勢屋」と「稲荷」の数も検証されている)。江戸時代に使われたことも確認できる。

 しかし、あまたの文献を参照して著者がたどりついた結論は、上方人が江戸を揶揄する言葉として使い、それが明治中期になって東京でも定着したというものだ。

 この結論に至るまで、著者は犬の糞をめぐるさまざまな挿話を拾い出す。犬の糞を通じて、江戸時代の政治と人間と犬のかかわりを描き出しているのだ。その意味では「犬の糞」は狂言回しと言っていい。この狂言回しによって、江戸の町の姿をリアルに浮かび上がらせたのは、むろん著者の独創である。

 「江戸時代の犬」と言えば、当然、5代将軍綱吉の生類憐みの令が思い浮かぶだろう。著者は綱吉の一連の生類憐み政策下の江戸についても、その顛末を含めて考証に怠りない。

 1695年に新たに完成した中野犬小屋に収容された犬は10万頭に及んだという。幕府は家主などから間口1間につき年金3分を徴収し、犬小屋の経費に充てた。江戸の町の犬の数は一時期激減した。

 綱吉の死後、犬たちはどうなったか。1頭200文で希望者に引き取られた以外は殺されたという文献が引かれる。この記述の典拠は不明ながら、著者は殺されたとしてもそれほど多くの数ではなかっただろうと推測している。

 当時の犬の寿命は10年ほど、中野犬小屋が完成したのは1695年。男犬と女犬は別に収容されていたから、綱吉が死去した1707年には犬の数は激減していただろうというわけだ。

 犬の糞に加えて、本書のもう一つの狂言回しは、鷹狩りである。鷹を所有し、鷹狩りを行うのは、土地の支配者の証だった。最高の権力者がもっとも多くの鷹の所有者だった。

 たとえば、関ケ原の戦いに勝利して天下を握った徳川家康は日本一の鷹持ちだった。その数は100羽を軽く超えていたという。

 鷹狩りに使う鷹は生肉しか食べない。餌となったのが御鷹餌犬(おたかえいぬ)である。将軍や大名は鷹の餌にする犬を百姓たちに村単位で差し出させていた。時代が下ると、犬の数に相当する一定の金額を収めるようになる。

 綱吉が禁止した鷹狩りを8代将軍吉宗は復活した。犬たちにとってまたまた苦難の時代が始まったのである。著者はここでも史資料を丹念に探索し、人間の身勝手に翻弄される犬たちの様相を描いている。

 犬といえば犬死という言葉がある。「犬」はいつのころからか、何やら相当に虐げられた言葉になる。平安時代の文献にまでさかのぼり、著者は「犬=むだなもの・役に立たないもの」が成立するプロセスを明らかにしている。犬は古くから人間に近しい存在だったがゆえに、人間とその世界のさまざまな至らなさを語る引き合いにされてきたようだ。

 最終章は「犬たちの文明開化」。1873年、東京府は「畜犬規則」を施行した。やがて、日本のどこにもいた里犬(町犬、村犬)は絶滅の道をたどっていく。犬たちが経験した文明開化のドラマは著者の前著『犬たちの明治維新――ポチの誕生』(草思社)にくわしい。

 冒頭に着眼が独創的であることを記した。むろんそれだけでは何も生まれない。著者は圧倒的な文献渉猟を通じて独創的な着眼を実りあるものにした。著者が参照した文献は、『県史』などに収録されている史資料はもとより、各種随筆類、俳句、戯作、落語口述本など実に多彩である。

 当たり前のことだが、データベースがあって、たとえば「犬」「糞」と検索すれば、何かが見つかるというわけではない。巻末に記されている「主な引用図書・史資料一覧」を見つつ、本書を紡ぎだした著者の、尋常ならざる労力と手間を思い、それを支える探求心に脱帽した。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

奥 武則

奥 武則(おく・たけのり) 法政大学教授

新聞記者歴33年ののち大学教師。新聞社では学芸部が長かった。最後はシコシコと朝刊1面のコラムを書いていた。大学では「ジャーナリズムの歴史と思想」という授業が主担当。自己認識としては「日本近代史研究者」のはしくれのつもりだが、立場上、「マスコミ問題」だの「取材文章実習」といった授業もやる。著書に『論壇の戦後史 1945-1970』(平凡社新書)、『露探―日露戦争期のメディアと国民意識―』(中央公論新社)など。