2016年09月21日
これまで痴漢の社会的背景について見てきましたが、痴漢のケースになると、頻繁にとある法律用語を見聞きする機会が多くなります。それは「冤罪」です。
もちろん冤罪問題はどの犯罪にもつきものですが、他の犯罪について話している際に、痴漢事件ほど冤罪という言葉が頻出することはありません。この言葉が、もはや「痴漢とセットになって出てくる言葉」のようになっている現状はおかしいと感じます。
また、痴漢がニュースになった時はあまり騒がれないのにもかかわらず、痴漢冤罪が起きた時や、冤罪の懸念がある場合の対策が報じられた時にだけ過剰に騒ぐ人たちも少なくないように思います。
痴漢に証拠の目印を簡単に貼りつけて立件しやすくするためのツールとのことで、その効果に疑問を持つのは当然としても、「冤罪のケースを助長しないか」という話ばかりする男性が多かったことを記憶しています。
この時は、犯罪をどう減らすかより、男性という自分の立場をどう守るかということばかり考えている人たちがたくさんいることを実感し、頭が痛くなってしまいました。
痴漢問題で冤罪の話ばかりを言う人たちの視点は自分目線の一人称に帰結されていて、痴漢被害という現象そのものを論じているわけではありません。「社会的正義」の視点ではなく、「利害」の視点でしか問題を見ていないのです。痴漢問題への厳格な対処が進まないのには、このような背景もあると言って良いでしょう。
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