「人のためにだけ生きる人生」じゃないはずなのにー
2016年10月06日
「とと姉ちゃん」の最終回は、だいぶ跳んで昭和63年になっていた。主人公の常子が昭和という時代を駆け抜けたことを示し、演じる高畑充希は白髪をだいぶ増やしていた。そして常子の起こした会社にほんものの「とと=お父さん」が出てきて、「常子は本当によくやった」と褒めてもらうシーンで終わった。
西島秀俊演じる「とと」はかっこよくて、最後にまた常子の夢の中で見られてよかったよかった、というわけだが、最後にととが出てこなくてはならないところが「とと姉ちゃん」のつらいところだったなあ、と思う。
悪いドラマというわけではない。見るたびに憤りがわいてきた「まれ」の系譜では全くない。
「まれ」はテレビの神さまに悪いと思う――このドラマは何のためにあったのだろう(WEBRONZA)
じゃあおもしろかったかと聞かれると、そうでもなかったですと答えざるを得ない。
「どうしたもんじゃろのー」という台詞を「『あさが来た』の『びっくりぽんやー』なんで、ひとつよろしく」という感じで常子に時々言わせるのだが、全然はずまない。
そもそも宇多田ヒカルの主題歌「花束を君に」の花束が「涙色の花束」で、ここからしてそこはかとなく寂しいわけで、「幸薄いドラマ」という表現が、私の中でいちばんしっくりする。
で、この薄幸感はどこから来たかと考えると、「恋愛成分の不足」はひとつ挙げられると思う。
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