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[書評]『ぜんぶ落語の話』

矢野誠一 著

松澤 隆 編集者

読み飽きない逸品が詰まった《お重》  

 これぞ落語エッセイの神髄というべき好著。執筆歴は半世紀に及び、昭和の名舞台の虚実を伝え得る書き手による最新刊である。

『ぜんぶ落語の話』(矢野誠一 著 白水社) 定価:本体2400円+税『ぜんぶ落語の話』(矢野誠一 著 白水社) 定価:本体2400円+税
 しかし、口の悪い落語好きは著者の名前だけ見て「もう、《しんぶん爺い》の昔話は聞き飽きたよ!」と、呆れるかもしれない。

 ちなみに《しんぶん爺い》とは、六代目尾上菊五郎、初代中村吉右衛門など往年の名優の鑑賞体験を誇らしげに語る故老を、年下の者が《菊・吉爺い》と諷したことに倣って、「昔の落語家のことばかし自慢気に語りつづける老人」を意味するらしい(本書あとがき)。

 《しんぶん》はもちろん、五代目古今亭志ん生(1973年歿)と八代目桂文楽(1971年歿)に由来する。しかも本書は、『落語のこと少し』(岩波書店・2009年)その他の著者の既刊書と、ネタがかなりかぶる。そのうえ、《しんぶん爺い》であるという自嘲と自負も、『少し』で披瀝済み。だから、「おいおい、《二番煎じ》も、てえげえ(大概)にしやがれ!」と、毒づく向きもあるかもしれない。

 ところが、藝の力はありがたい。読み進めば、うるさ型も素朴な落語好きも、きっと手放せなくなる。そもそも読売新聞夕刊2004年5月から今年3月までの連載がもと。連載だから収録された60編の長さはほぼ同じ。1編1400字前後という分量が程よく、クドくない。トリがその日の残り時間に合わせて噺を仕上げるのにも似て、藝の表裏を熟知した達人が質は落とさず素材を吟味し、一口大に揃えて詰め合わせた、いわば《噺の重箱》だ。

 蓋を開けば「志ん朝前後」「襲名」「戦争と落語」「占領下の落語」「身のまわり」「落語家の俳句」「人と落語家」「落語と芝居」「レクイエム六人」。以上9つの仕切りに、全60編の佳肴がぎっしり。食べ飽きるどころか、既刊書で何度か読んだ話題でもグッと引き締まり、後味が新鮮。同じ長さゆえ、薀蓄系の小ネタはそれなりに引き立ち(「扇子」「手拭」など)、人情系の大ネタは「たっぷり!」という期待を逸らし静かに納めて余韻を残す(「小泉信三と古今亭志ん生」など)。大小のネタが市松模様のように仕切られた《お重》の中で同じ寸法で引き立て合っているのだ。

 しかし、ご忠告。本書で落語を学ぼうなんて料簡をもっちゃいけません。「落語を聴くと日本の伝統文化が分かるゥ?……って冗談じゃない」(柳家小三治のクスグリ、本書の引用に非ず)。教養じゃなく、滋養。そして、楽しさが本書の身上。

 もちろん楽しさもいろいろ。味わいの変化が好ましいのも本書の魅力だ。例えば「襲名」の章(「藝名」)では、「パーソナルな藝にたずさわる落語家」個人が、「失われつつある家族制度」「家の意識」から、今なお「逃れられない」のが不思議、と薬味を効かせる。

 甘味にも不足はない。既刊書の読者なら察しがつくように、贔屓の古今亭志ん朝(著者の3歳下、2001年満63で歿)への愛惜の深さ。本書も「志ん朝前後」(冒頭「志ん朝登場の頃」)は、十八番のネタだ。だが、話の締めに現代の噺家志望者との対比を置くことで、月並な懐旧譚に終わらせない。

 かと思うと、古今を問わず、一部の藝人とその周囲の身の処し方には辛口である。例えば、或る有名落語家子息の大名跡襲名騒動にはかなり冷ややかだし、三代目桂三木助と彼に肩入れした安藤鶴夫については、「粋に生きるのを願ったのが因果で、あげくは野暮に過ごしてしまったことに気づかなかった」「ひとりの作家とひとりの落語家」と、手厳しい。

 そんな苦味も含んだ中で、出色なのが「戦争と落語」「占領下の落語」の諸編だ。国が求める滅私奉公とは対極の世界観を演じてきた噺家の現実(従軍、銃後、禁演、自粛)の描写に、悲哀と滑稽が交錯する。

 最も玩味すべきは、やはり「志ん生と圓生」だろうか。晩年の自宅にも訪れ、『志ん生のいる風景』(1983年・青蛙房、1987年・文春文庫)という書き下ろしまである著者にとって、志ん生は別格の存在。同書はもとより諸書で追慕・称揚してきた。

 一方、六代目三遊亭圓生(1979年歿)については、「どこかひとを気やすく受けいれようとしないところがあった」「人一倍名誉欲も強かった」(『圓生とパンダが死んだ日』1993年・青蛙房)など、言いにくいことを公言してきた。その著者が本書では、井上ひさしの戯曲『円生と志ん生』(2005年・こまつ座初演)の「想像的創造力」を評価しつつ、御両人のほんとうの満州巡業の辛酸(1945年から2年間に及んだ)について、藝と人に精通した包丁さばきでみごとに描き出している。結語は、「世間的倫理を無視した奔放な生き方が藝人の特権だったと仮定して、志ん生は藝人であることに固執し、圓生はその藝人であることを一度忘れたふりをして、それぞれあの戦争とむかいあった」。

 そして、肺腑にグッとしみるのは、「落語家の俳句」の章だ。とくに、十代目金原亭馬生(1982年歿)のくだり。何度も登場する父の志ん生や弟の志ん朝とちがって、本書ではこの章にのみ登場し、かえって印象が深い。酌み交わした酒の話も良い。「嘘を許さないという藝に対する姿勢は、そのまま素直な観察眼に裏づけられた佳句」と激賞したうちの一句に《塀のそと靴音かわく秋の空》。また、七代目三笑亭可楽(1944年歿)のくだりは、風体の凄みと秀句の対照がすこぶる鮮やか。「絶品」とされた句は《片耳は蟋蟀(こおろぎ)に貸す枕かな》。名人の名吟、それを語る達人。鼻の奥がつんとしてくる。

 装幀・挿画は唐仁原教久。その飄逸な味わいともども、長く座右に置いておきたい一冊。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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