ブロガーは男性としての自分をふり返ってもらいたい
2016年10月11日
被害者を裁き「レイプ神話」を再生産する者(上)――メディア・ブロガーの被害者バッシングに反論する
被害者を裁き「レイプ神話」を再生産する者(下)――「裁判になっていれば、無罪主張をした」は偽善である
カナダ・バンクーバーで行方不明になっていた日本人女性が、遺体で発見された。本当に気の毒なできごとだと思うが、例によってブロガーによる被害者バッシングがすでに始まっているのを知って、暗澹たる気持ちである。
不幸なことに当事者は亡くなっており、まだ別件で逮捕された容疑者がまともに口を開かないでいる限り、何が起きたのかは結局分からない。それなのに、ネット上で憶測による被害者いじめを行って平然としているのは、少々軽率ではないか。
目立つのは、被害者がお気楽に容疑者について行った、そしてこれは日本人女性によくある行動だ、被害者は軽率だ、いや尻軽だ、殺されたのは自業自得だ……といった書き込みである。
被害者に深い同情を示した人さえ、残念だが事実上同趣旨の書き込みをしている例がある。同じような被害を出さないようにという想いからかもしれないが、それにしても安易ではないか。被害者が容疑者に気楽について行ったと、いったい何を根拠に言っているのか。
それを見ると、押し黙ったように歩く容疑者を、被害女性が斜め後ろから、あたかも何かを求めるかのように、「お願い、お願い」と言いつつ、手振り身振りを交えて媚びようとしている(かのように見える)。
だが、そもそもこの映像は、事件のごくごく限られた一面を示したものにすぎない。たまたま監視カメラがとらえた一瞬を普遍化して語ることが、なぜできるのか?
しかも、上に記した印象さえ何の根拠もない。この解釈とは逆に、むしろこの女性が、あたかも容疑者が加えた侮辱に類する行動に、抗議でもしているかのように見ることは、いくらでもできる。
つまり、押し黙ったまま被害者を避けようとする容疑者に、被害者が手振り身振りを交えて追いすがり、何かの批判・非難・説得をしようと試みていると。
残された情報からさえ、多様な解釈がなりたちうるのに、なぜ多くのブロガーは「被害者が気楽に容疑者について行った」と解して、殺されたのは「自業自得」だなどと被害者を裁くことができるのか。すべてのブロガーがそうだとは言わないが、その種の書き込みが目立つ。
私はそれは、自らは「性被害」にあう可能性のほとんどない男性の、女性にたいする、ある種のコンプレックスのせいだと思う。
ここで「コンプレックス」は、劣等感という意味ではない。そうではなく、
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