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メディアの万博翼賛体制

 6250万人は、日本全国から砂粒のように吹き寄せられたわけではない。

 集客の背景には第一に、大量の情報の散布によるブームの創出があった。マスメディアが発信する膨大な情報は人々の意識に潜り込み、バンパクの四文字を脳髄に書き込んだ。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などが送り出した万博情報は、参加行動の動因(内的要因)を形成した。人々は万博をめぐる出来事に過敏になり、参加への勧誘や機会などの誘因(外的要因)に強く早く反応するようになっていった。

 多くのマスメディアは、開催直前になるとそれまでの批判的論調を変え、ほぼ全面的に万博礼賛へ雪崩を打った。この変貌の理由は定かではないが、マスメディアの内部にある種の「万博翼賛体制」が出来上がっていったことはまちがいないだろう。

 万博協会はかなり周到なプレス対策を講じた。東京オリンピックを凌ぐ大がかりなプレスセンターが設置され、会場内のあらゆる出来事を記者発表やリリースを通じて流した。記者たちにとって、万博は何の苦労もなくネタが拾える場になった。事実、在阪の新聞社は、開幕した3月には300本、会期中は月80本程度の万博記事を掲載した。

 むろんテレビも負けてはいなかった。3月14日の開会式の実況中継を皮切りに、翌日から各局はさまざまなレギュラー番組を仕立てて、万博映像を送り出した。NHKの「万国博と結ぶ」、「ナショナルデーへの招待」、「万国博アワー」、日本テレビの「ミセスのエキスポ」、「EXPO招待席」、TBSの「万国博ハイライト」、「これが万国博だ」、フジテレビの「エキスポ水曜スタジオ」、NET(現テレビ朝日)の「おはよう!万国博」などが、定期的に万博の情報を送り出した。

 全国の視聴者はほぼ毎日、自宅のテレビ受像機で「太陽の塔」とパビリオンと押し寄せる人波の映像を見続けた。万博映像が昭和戦後を象徴するイメージとして我々の網膜に焼き付いたのは、何よりもその膨大なオンエアの量によっている。

万博を機に力を蓄えた電通 ・・・ログインして読む
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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

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