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[書評]『ダルトン・トランボ』

ジェニファー・ワーナー 著 梓澤登 訳

上原昌弘 編集者・ジーグレイプ

赤狩りをものともしない男の生涯  

 アメリカはときどき変になる。奇天烈な発言をくり返すドナルド・トランプを大統領候補(共和党)に選出したりする。四半世紀も前だと思うが、彼は女優ジェーン・フォンダの結婚前提の交際相手としてゴシップ誌に登場し、イケメンの億万長者として少なからず話題になった。

 ところがそれからまもなく事業が破綻したようで、わたしはトランプの名を忘れ去っていたが、知らぬうちに再起を遂げていたらしい。サブプライム・ショックも何とか逃げ切って悪名を轟かせる彼を、国家代表として選出しようとするのが、世界のトップ・リーダー国、アメリカなのである。

 トランプ選出以上にヘンテコなアメリカの所業は、いくらでもある。その最たるものが、1940年代後半から1950年代にかけて共産主義者を弾圧した赤狩りだ。政治家や政府関係者のほか、ジャーナリストや芸術家も対象となり、多くの人々が摘発された。

 そして、実際にその嵐がもっとも吹き荒れたのはハリウッドであった。米下院で発足した非米活動委員会(HUAC)は、効果的な糾弾のメルクマールとして、戦後、いの一番に、ハリウッドを狙い撃ちしてきたのである。ハリウッド人口の6割以上はユダヤ系であったから、結果として赤狩りは、「ユダヤ人狩り」の様相も呈するようになる。

 しかしその中で、抵抗をくり返す人々が確実に存在した。とくに1947年10月20日、HUACの第1回聴聞会に呼び出され、非協力だったため議会侮辱罪で有罪判決を受けた10人の映画人が、際立っている。彼らは「ハリウッド・テン」と呼ばれ、その後10年以上にわたり、活動の縮小を余儀なくされた。本書の表題となっているダルトン・トランボもその一人だ。

『ダルトン・トランボ——ハリウッドのブラックリストに挙げられた男』(ジェニファー ワーナー 著 梓澤登 訳 七つ森書館) 定価:本体1600円+税拡大『ダルトン・トランボ――ハリウッドのブラックリストに挙げられた男』(ジェニファー・ワーナー 著 梓澤登 訳 七つ森書館) 定価:本体1600円+税
 トランボは、西部劇の舞台コロラドのプア・ホワイトの両親の下、1905年に生を受けた。彼が地元のコロラド大学に入ったばかりのころ、生活が苦しくなった父親は家業の靴屋をたたみ、一家で大都会のロサンゼルスに引っ越した。

 トランボはコロラド大学を中退し、南カリフォルニア大学に入り直したが、父親が倒れ学費が続かなくなり、結局中退。20歳でパン工場に就職し、焼きたてのパンを包装する仕事に8年間従事していた。

 1929年には大恐慌が始まったが、そんな中でも人々は喰わねば生きて行けない。だからパン工場も潰れることはなかった。

 トランボは定収入を確保しつつ、おのれの文才に未来を賭けようとする。彼は少年時代から小説家になりたいという夢を抱き続けていた。1932年、「ヴァニティ・フェア」誌に投稿した原稿およびその執筆スピードが、美人で名高かったクレア・ブース・ブローコー編集長に認められ、ハリウッド通信員に抜擢される。

 さらにクレアに代わる「ヴァニティ・フェア」誌の編集長職を打診され、もうこの道で喰って行けると早合点したトランボは、パン工場に辞表を出してしまった。だがこれはトランボのミステークであった。未曾有の不況の中で、嗜好品の雑誌が易々と売れるわけがない。給料の遅配の連続にたまりかねたトランボは辞表を提出、1934年に右肩上がりの映画産業、ワーナー・ブラザースの校正者へと転ずる。

 パン工場勤務時同様の定収入を得られるようになったトランボは、校正作業の傍ら、念願の処女小説『日の陰り』を書き上げ、出版にも成功。文芸界で多少の話題を呼ぶと、一流誌「サタデー・イヴニング・ポスト」からも原稿依頼を受けるようになった。一流のライターを校正者としてとどめておくのは勿体ない。ハリウッドのメジャー会社は新しい才能には目敏く、1935年秋、ワーナーはトランボと契約を結びなおす。7年契約で脚本助手になったのだ。

 こうして脚本家ダルトン・トランボが誕生したわけであるが……順風満帆に物事は運ばない。処女小説の舞台を故郷にしているように、トランボはプア・ホワイトとしての出自を忘れない。すぐに映画脚本家組合の労組活動にはまり込んでしまう。そして会社お仕着せの組合への加入を拒んだことを咎められ、あっさりワーナーを解雇されてしまうのだ。

 その後はコロンビア、MGM、RKOと会社を転々とし、1940年に『恋愛手帖』の大ヒットでようやくひと息つく。トランボの唯一の監督作『ジョニーは戦場へ行った』(1971)の原作小説が書かれたのは、この流浪の時期であった。作品の舞台が第二次大戦ではなく第一次大戦なのは、それゆえだったのだ。

 『恋愛手帖』以後の仕事は順調だったが、戦後予期せず起こったのが「赤狩り」であった。トランボは1950年に「ハリウッド・テン」として投獄され、1年弱の獄中生活を送った後、転向することなく(つまりブラックリストに掲載されたまま)、メキシコで亡命脚本家のコミュニティをつくる。闇市場やB級マイナー映画会社に売るため、匿名で30本の脚本を書き、13の変名を使った。

 メキシコ時代の脚本の代表作が『ローマの休日』(1953)であり、それはイアン・マクレラン・ハンター名義であった(脚本家名がトランボの名に書き換えられたのは2011年)。原作を担当した『黒い牡牛』(1956)に至っては、アカデミー賞まで受賞するのだが、ロバート・リッチ名義なので授賞式には当然参加できない。

 関係者は「リッチ氏は奥さんの産院への立ち会いで欠席」と苦しい言い訳をしていたが、ロサンゼルス中の産院がマスコミに調べ尽くされ、そんな名の妊婦は存在しないことが判明。とうとうリッチ=トランボであることが、つきとめられてしまった。

 こうして評伝を追っていて気づくことは、この時期のトランボの様子がまったく苦しそうではなく、むしろ楽しそうですらあるということである。その理由のひとつがこう書かれている。

 「(トランボは)ブラックリストに載った他の仲間たちにくらべると恵まれたほうだった。俳優は顔を変えることなどできないし、映画監督はトランシーバーで撮影現場への指示を伝えることもできない」

 ブラックリストに載っても、トランボの脚本家としての活動には、支障はほとんどなかったのだ。テレビ隆盛以前の映画産業は華やかな黄金時代を迎えており、ハリウッドに仕事はいくらでもあった。

 『黒い牡牛』事件の翌年から、テレビ界(CBS)で、赤狩りブラックリストの内部崩壊が始まった。1957年、「ヒッチコック劇場」が、赤狩りで追放されたノーマン・ロイドを起用したのである。1960年には映画界もついに動き、『栄光への脱出』『スパルタカス』には、とうとうタイトルロールにトランボのクレジットが入った。前者には監督オットー・プレミンジャー、後者には製作者で主演スターのカーク・ダグラス(ともにユダヤ人である)の意向が強く働いたという。

 55歳以降のトランボの生涯には成功の道しかないので、正直、あまり興味を引く記述はない。大作『ハワイ』や『追憶』、『パピヨン』をめぐるすったもんだがある程度。

 「ハリウッドのブラックリストに挙げられた」被害者を成功者として語るのは妙かもしれないが、トランボの曇りない堂々たる生涯を見れば、そう評さざるを得ない。次から次と襲いかかる障害から逃げも隠れもせず、真っ正面から立ち向かって敗れているので屈折もない。かといって被害者面もせず、あるかないかわからない「罪」も刑務所で償った。喧嘩っ早く癇癪持ちであることを除けば、明鏡止水の人物のようにも見える。

 だからだろうか、実はわたしはこの「成功した被害者」よりも、「失敗した加害者」の側が気になって仕方がないのだ。本書にはほとんど記述が存在しないが、関連書の数々(例えば最近復刊された『レッドパージ・ハリウッド――赤狩り体制に挑んだブラックリスト映画人列伝』〈上島春彦著、作品社〉など)を読むと、告発者たちほど、赤狩りをひきずっているように見えるのである。密告したと噂される戦前のナンバーワン・スターのロバート・テイラーは、戦後、ニューロティックな(異常心理ものの)役柄しか来なくなったし、二枚目で売り出したリー・J・コッブは性格俳優として悪役を極めるようになる。

 告発し転向した側には、一分の理もないのであろうか? 元共産党員として積極的に「狩り」に協力した悪名高きエリア・カザンはギリシア系であった。ユダヤ人の作家リリアン・ヘルマンらを告発したのは、ハリウッドを覆い尽くすユダヤ系コミュニティのパワーへの反発があったのではないか。いや、さらにいえば裏切り者の烙印を押されたカザンこそ、赤狩りの最大の被害者ではないのだろうか。

 「ハリウッド・テン」のなかで唯一転向したエドワード・ドミトリク監督についても、カザン同様の裏切り者の烙印を押す向きがあるが、評論家の川本三郎氏は近著『映画の戦後』(七つ森書館)でドミトリクを弁護している。彼の代表作『ケイン号の叛乱』(1954)のラスト、法務将校のグリーンウォルド大尉(ホセ・ファーラー)のコメントに、ドミトリクの本音が現れているというのだ。

 実は「ハリウッド・テン」の面々は、ほとんどがエリート大学出身者である。トランボも中退とはいえ、南カリフォルニア大学に籍を置いていた。父親が健在なら、彼もプア・ホワイトにならなかったかもしれない。しかしウクライナ移民の子ドミトリクは骨がらみに労働者階級出身だった。15歳でメッセンジャー・ボーイとしてパラマウント映画で働き始めた、真の「叩き上げ」なのである。

 『ケイン号の叛乱』では、海軍エリートたちが、悪事を隠匿しようとした「叩き上げ」艦長の追放に成功する。この海軍エリートたちに対し、グリーンウォルド大尉は、叩き上げをバカにするなと声を大にして憤る。川本氏は、これはエリート左翼に対する、ドミトリクたちプア・ホワイトの本音ではなかったのかと指摘するのだ。理念として共産主義に賛同した者と、現実に貧しくて共産党員になった者との格差がそこにはある。

 トランボはユダヤ人ではないプア・ホワイトであり、しかもドミトリクと違って転向もしていない(1954年にトランボはアメリカ共産党に再加入している)。いわば最強のカードを有しているため屈折がなく、それゆえ、本書も記述は一本調子とはいえる。このあたりが若干物足りないと感じさせる要素なのだが、それはないものねだりというべきだろう。

 本書はおそらく、今夏に封切りとなった映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』全国ロードショーをあてこんで刊行されたものであろう。同時期に上記『レッドパージ・ハリウッド』や映画の原作本『トランボ――ハリウッドに最も嫌われた男』(世界文化社)も刊行されている。映画公開がなければ、トランボのような脇役の人生にスポットがあたることもなかったはずで、その意味ではハリウッドに感謝するほかはない。ヘンテコなアメリカ史の一側面を知るうえで得難い読書体験であった。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

上原昌弘

上原昌弘(うえはら・まさひろ) 編集者・ジーグレイプ

1961年生まれ。早稲田大学第一文学部演劇科卒。大学時代、産経新聞と北海道新聞と新書館(後に入社)の3社かけもちで働く。卒論はヒッチコック。月刊コミック誌、バレエ雑誌、思想誌『大航海』などを編集。また書籍では、川本三郎『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞受賞)、『小津安二郎全集』、『車谷長吉全集』(いずれも新書館)などを編集。