差別を受け手の問題と不快の問題に矮小化するな
2016年10月19日
前回に引き続き、うなぎをスクール水着少女で擬人化した鹿児島県志布志市のふるさと納税のCMについて、大きな批判を受けて市が削除した問題を取り上げて行きたいと思います。
前回は主に、CMのどのような点が問題だったかについて述べてきました。今回は「差別」という概念に注目しながら、この問題をより深く掘り下げます。
志布志うなぎ少女CMで見えた差別の根深さ(上)――市役所の感覚は「少女=養殖」なのですか?
ちょっとした良識があれば、このような作品が作られることも、企画の決済が下りることもなかったはずです。
ただ、今回のケースに限らず、性差別だとして炎上が起こるたびに「女性の意見を聞いたのか? そうしていたら防げたのではないか?」と疑問を持つ人が多いと思いますが、それは誤りです。仮に意思決定する人が男性だけで構成されていたとしても、「これはまずい」という声が多数にならなければいけません。
また、CM制作の周囲に女性がいたとしても、そこに強固な男性社会が形成されていれば、意見を言いにくいケースもあるでしょう。そもそも女性社員が少ない職場であれば、その少数派の女性が必ずしも差別を差別だと認識できる人物とは限りません。
確かに男性よりも女性のほうが性差別に敏感な人は多いので、女性に意見を求めることは絶対に必要ですが、このあとで述べるように、決してそれだけでは十分ではありません。女性差別表現について専門にしている法律家、コンサルティング、研究者等に意見を求めることが確実でしょう。
では、なぜこのようなCMがまずいと判断できなかったのか
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