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村上春樹よりディランが先でよかったノーベル賞

ディランの音楽の総体は「カバー」なんじゃないか

近藤康太郎 朝日新聞諫早支局長

 ニューオーリンズ・ソウルの女王アーマ・トーマスのライブを見ていたときのこと。ラストにボブ・ディランの「フォーエバーヤング」を歌った。絶唱だった。鳥肌が立った。気絶するかと思った。

 一緒に聴いていた、音楽評論家の大先輩も、いたく感動しておられた。ディラン研究家でもあるその先輩に、「ディランのより、いいんじゃないすかね?」と調子に乗って申し上げたら、「そうじゃない。そういうことじゃ、ねえんだ」と怒られたことをよく覚えている。

ボブ・ディラン氏=ロイター拡大ボブ・ディラン=2004年、ロイター

カバーの方がよくないですか?

 だからおまえはだめなんだと、また怒られそうだが。しかし、以後もこの疑問が頭を離れない。ディランの曲って、カバーの方がよかったりするとき、けっこうあるんじゃないの?

 2016年のノーベル文学賞を授与されたディランは、多作の天才である。また、多くの歌手にカバーされることでも知られている。

 なにしろ、いちばん有名な曲「風に吹かれて」にしてからが、ディランのオリジナルより、ピーター・ポール&マリーのカバーで世に知られるようになった。日本でもテレビドラマの主題歌になったから、PP&Mバージョンで知ったという人が、けっこう多い。

 そして、このPP&Mバージョン、やっぱりよくないですか? ディランのオリジナルより、なんというか、曲を大切にしているような感じがある。ディランのは、いいんだけれど、ぞんざいに、投げ出して歌っているような気がする(そこがよいっていう視点も、承知しているつもりだが)。

 忌野清志郎が強烈なロックに改変して歌った、RCサクセションの「風に吹かれて」を覚えている人も多いだろう。山口冨士夫が酔っぱらった感じで乱入してくるところなんか、もう、ぞくぞくするほどかっこいい。南沙織(!)のカバーなんてのもあった。これがけっこう、よい。ちゃんとした歌謡曲になっている。

 こう言うと、ディラン教の信者にほんとにぶん殴られるかも知れないが、日本人では、遠藤ミチロウ(exスターリン)の「天国の扉」も、オリジナルを、ある意味、超えているんじゃないかと思っている。人間は死すべき存在だ。どうやって死ぬのか。死を忘れるな。メメント・モリ。そういう感じが、よりよく出ている。

 歌唱力がディランとは段違いだから、ソウルやジャズシンガーに歌わせると、もう全然違う曲に聴こえる。輝き出すということはよくある。

 前述の「風に吹かれて」は、スティービー・ワンダーが歌うと、荘厳なゴスペルになる。神々しい。「エモーショナリー・ユアーズ」は、オージェイズが歌った方が、ぜったい生きる力がわく。ソウルフル。ディランのは、なんか、わざと盛り下げてるんじゃないかと思うほどの、力の抜け方。まあ、それも笑えて楽しいんだけれど。

 ニーナ・シモンの「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」の、シルクみたいな肌触りの歌は、どうだろう。繊細で深くて清らかで。ニーナより、ディランのしわがれ声のオリジナルの方が、絶対にいいですかね?

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筆者

近藤康太郎

近藤康太郎(こんどう・こうたろう) 朝日新聞諫早支局長

1963年、東京・渋谷生まれ。「アエラ」編集部、外報部、ニューヨーク支局、文化くらし報道部などを経て現在、長崎・諫早支局長。著書に『おいしい資本主義』(河出書房新社)、『成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか』(水野和夫氏との共著、徳間書店)、『「あらすじ」だけで人生の意味が全部分かる世界の古典13』(講談社+α新書)、『リアルロック――日本語ROCK小事典』(三一書房)、『朝日新聞記者が書いた「アメリカ人が知らないアメリカ」』(講談社+α文庫)、『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』(講談社+α新書)、『朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点』(講談社+α新書」、『アメリカが知らないアメリカ――世界帝国を動かす深奥部の力』(講談社)、編著に『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(文春文庫)がある。共著に『追跡リクルート疑惑――スクープ取材に燃えた121日』(朝日新聞社)、「日本ロック&フォークアルバム大全1968―1979」(音楽之友社)など。趣味、銭湯。短気。

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