女性のセクシュアリティについての誤解
2016年10月26日
アメリカ大統領選がらみで、トランプ候補の女性差別的な言動が問題になっている。その後、同人の「セクシャル・ハラスメント」が次々に報じられており、同じ男性としていたたまれない。
トランプにはどうも、自らの性的働きかけは当の女性にとって暴力である、という認識がないようである。朝日新聞の報道によれば、その支持者の中にも、同種の発想が見られるので残念である。トランプが10年前に行った車中の言動について、「同じような会話をしたことがない米国人男性なんていない」とか、また問われる氏の資質に関連して、「これは米国の大統領選で、別にローマ法王になるための選挙じゃない」、などという擁護論が見られた(10月12日付)。
それに、仮にそうした会話を交わしたとしても、それを実際の行動に移すかどうかは全く別問題である。
先のトランプの支持者がどこまで考えて発言したかは不明だが、その後の報道を見ていると、トランプにとって車中の対話は実際の行動と地つづきだった可能性が高い。
トランプは2度目の公開討論会で、「自分は単に口にしただけだが云々」と発言した。だが、車中の対話自体、実際に具体的な行動があったことを濃厚に示していた。
先のトランプ支持者の釈明はどうにも気になる。一人の男性としてのいわば「潔癖性」は、つまり女性に対して性的・社会的等の場面で暴力的なふるまいをしないことは、ローマ法王だけではなく大統領にも当然求められるはずである。大統領候補にはそんなことを問わないという言い分は、いくらなんでもひどい。
だいいち、この意味での潔癖性は、ローマ法王・アメリカ大統領だけではなく、ごくふつうの男性市民にも日常的に要求されることがらである。それが大統領に求められないとしたら、アメリカ人の倫理観・政治観自体が問われるのではないか。
いつの時代でもそうだが、男女の性的関係は常に社会的モラルの大本である。特に女性に対する暴力は、つまり女性の望まない性的関係の強要はもちろんだが、女性が望まない性的接触、女性を性的な関心で値踏みすること、さらに女性を性的な話題の対象とすること等は、女性の人間としての尊厳を軽視し、女性の日常の安全を脅かし、その社会進出を阻み、ひいては男女の不平等な差別的な関係を維持・強化する。とすれば、トランプの行動を容認する世論は容認しがたい。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください