つながっていた「お沢庵」
2016年10月31日
[10]「性的解放」と「禁制」考 『晩春』3――引き裂かれた原節子の内面
[11]「性的解放」と「禁制」考 『晩春』4――続・引き裂かれた原節子の内面
『晩春』において、性的な結合願望の隠喩としての自転車を漕いで、湘南の海岸沿いの道を原節子と宇佐美淳が並走するシーンが表象し、意味するものについて、もう少し深く記述を進めておきたい。
「時速35キロ」の速度制限標識とコカコーラの宣伝用木製立看板の横を走り去って、原節子と宇佐美淳は、茅ケ崎までサイクリングし、一休みするために浜辺の小高くなった砂丘の上に腰を下ろす。意味ありげな曲線を描きながら並行して砂地を走る、2台の自転車の轍(わだち)の跡が、磁石のプラスとマイナスのように惹かれ合いながら、決してある距離以上には接近しようとしない二人の心と身体の関係性を暗示していることは、言うまでもない。
だが二人は、そのあと、その先には身体が、そして唇が触れ合うしかない、ギリギリの距離まで接近する。すなわち、宇佐美に続いて砂地に腰を下ろした原が、「じゃあ、あなたはどっちだと思う?」と聞き返し、それに対して宇佐見が、「そうだな、あなたはヤキモチなんか焼く人じゃないな」と答えると、原の顔がアップで大写しとなり、左の眉をやや吊り上げ、満面の笑顔で、「ところが、あたしヤキモチヤキよ」と返す。
このシーンで、二人が交わす会話の意味を真に理解するには、砂地に腰を下ろす二人の姿勢の違いに注意する必要がある。
このとき、原節子の心身は、ほとんど無防備に宇佐美に対して開かれていると言っていい。
別の言い方をすれば、原は、海を前にして心身の武装を解き、全身を仰向けにさらけ出すようにして投げ出すことで、宇佐美を受け入れる体勢を取っているといえる。
それに対して、宇佐美は、
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