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こんな勉強法で、「死ぬまでSEX」できますか?

「週刊現代」「週刊ポスト」の「熱血予備校路線」が鬱陶しすぎる

矢部万紀子 コラムニスト

変な必死さ、余裕なし

 ここで「週刊ポスト」と「週刊現代」のことを書くのは、3年ぶり2度目だから、日ハムよりも広島よりも強いってことになる。

 それもそのはず、「死んでもセックス」したいという欲求が、どろどろと渦巻いているんだもの。

 「だもの」ってのは、3年前にポスト現代路線を「定年しても、勃たなくても、セックスしたっていいんだよ、人間だもの」と戯れに表現したのを踏襲したわけだが、実態としてはこの路線、3年の間にまるで違うことになっていた。相田みつを的な牧歌的空気はすっかりなくなり、変な必死さが際立ち、余裕なし状態。おやおや、みなさん、どうしたの、である。

 ことの発端は、週刊現代の10月15・22日号。「さよなら、『死ぬまでSEX』 妻からの伝言」という記事が載った。そこで「したっていいんだよ、人間だもの」の終焉という事態について、書いてみようと思ったわけだ。

 妻からのどんな伝言かは、見出しを引用する。いわく「もういい加減、目を覚ましてください」。いわく「もう濡れにくいんです」。いわく「つらくて、つらくて」。いわく「枯れたっていいじゃない」。

 端的である。記事では作家とかカウンセラーとか杉本彩似の典子さん(52歳)とかが出てきて話しているが、これ以上、補足不要だろう。記事の最後はこう結ばれていた。

 <死ぬまでセックスなどしなくていい、と妻たちは言う。ならば、過去の甘美な思い出を思い出のままでしまっておいて、服の上からそっと妻を抱きしめよう。そこから新しく幸せな夫婦関係が始まるのだ>

 ふむふむ。週刊現代はなぜ、このように境地を変化させたのか、これからどこへ行こうとしているのかとか、宿敵ポストはどう出るのだろうとか、そんなことを書こうと思っていた。

100になっても!

 が、しかーし。なんと「死ぬまでSEX」にさよならしていたのは、その翌週のみ。翌々週の11月5日号では、「『ドクターSEX』 Hな女医が大集合」を掲載し、次いで11月12日号では「60すぎたら『はしたない』SEXをしよう」を掲載。

11月5日号では、「『ドクターSEX』Hな女医が大集合」「週刊現代」11月5日号の「『ドクターSEX』Hな女医が大集合」
 後者には、「70すぎて80すぎて、90すぎて100になってもしたい!」とサブ見出しが立っている。これって、「死ぬまでSEX」の言い換えじゃん。

 やれやれ。村上春樹でなくても、そう言いたくなる。

 「さよなら」した後にすぐ復活させるのは、少しバツが悪いと感じたからだろうか、「Hな女医」3人の鼎談は、このところの路線とは少し離れた「だもの」時代の香りがする記事だった。今回ポス現の記事を何本か読んだ中で、唯一、笑えた。

笑えるポイントその1

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