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[13][性的解放」と「禁制」考 『晩春』6

原節子自身の手で断行された「子殺し」

末延芳晴 評論家

さりげなく提示された「子殺し」の主題

 映画『晩春』における、お互いに好意を持ち合っている原節子と宇佐美淳が、湘南海岸道路をサイクリングするシーンは、茅ヶ崎の海岸の海を見晴らす砂丘の上に腰を下ろして、原節子が「それじゃ、お好き? つながったお沢庵?」と、隣に肩を寄せるようにして座る宇佐美淳に聞きただし、それに対して宇佐見が「たまにはいいですよ、つながった沢庵も……」と笑顔で返すのを受けて、原が、嬉しそうな笑顔で眼差しを海に向け、やおら立ち上がって、ゆっくりと歩み出すところで終わる。

 前回指摘したように、映画を見る私たちはそこまで見て来て、ごく自然に、そのあとドラマは、最終的には原節子と宇佐美淳の「愛」の性的対関係性が成就する形で終わる方向で展開していくものと予測、あるいは期待することになる。

 そして、大学教授である父親の教え子であり、助手でもある宇佐美淳が、自分に対して好意を抱いてくれていることを確認し、嬉しそうな笑顔を海に向けて立ち上がる原節子の心の奥に、父親より宇佐美淳との共同生活を選ぶという意味において、ほとんど無意識に近い形で「父殺し」の本能的意志が働いていることに、原節子自身だけでなく、私たちも気づかない。

 だが、その後のシーンで、杉村春子演じる、笠智衆の妹(原節子にとっては叔母)田口たみの家の居間で、笠智衆が杉村春子から、最近のお嫁さんは披露宴で出てくる料理を平気で食べ、酒も飲むという話を聞かされるなか、杉村の口から、「紀ちゃんどうなの?」と、原がもうそろそろお嫁に行かなくてはという話が持ち出されることで、映画『晩春』の根本主題たる「父殺し」のテーマが、実にさりげなく、映画を見る私たちは誰一人気づくことがないまま、スクリーンの奥、あるいは目に見えない底流にそっと忍び込まされることになる。

 「紀ちゃんどうなの?」、「ほんとなら、もうとうに行ってなくちゃ……」、「あの人なんかどうなの、ほら―」と、杉村は、笠の助手の宇佐美淳を、原節子の結婚相手にどうかと、せかせるように笠に問いただす。以下、その場面の二人のやりとりを紹介すると以下のようになる。

「あの人なんかどうなの、ほら―」
「誰だっけ」
「兄さんの助手の……」
「ああ、服部かい?」
「どうなの、あの人なんか」
「ウム、――いい男だがね、紀子がどう思ってるか……何ともなさそうだよ、大へんあたりまえに、アッサリつきあっているようだがね」
「そうよ、そういうもんよ、今時の若い人達ですもの」
「そうかね」
「そりゃわからないわよ、そんなこと、おなかンなかで何を思ってるか」
「そうかねえ」
「一度聞いてごらんなさいよ」
「誰に?」
「紀ちゃんによ」
「なんて?」
「服部さんどう思うって」
「なるほどね……じゃ聞いてみようか」
「そうよ、そりゃわからないもんよ」
「うむ」
「案外そんなもんよ」
「うーむ……」

=写真は、『晩春』のDVDより筆者作成(写真2~5も同様)拡大【写真1】 「ほんとうなら、もうとうに行ってなくちゃ」と、紀子の縁談話を切り出す杉村春子=写真は、『晩春』のDVDより筆者作成(写真2~7も同様)
【写真1】拡大【写真2】 「なるほどね……じゃ聞いてみようか」と、紀子に服部の ことをどう思うか、聞いてみることを受け合う笠智衆

 婚期を逸しそうな娘の縁談話に乗り気をみせない笠に対して、杉村は「あの人なんかどうなの、ほら―」と、笠の助手の服部を紀子の結婚相手に薦める。それに対して、笠は「何ともなさそうだよ、大へんあたりまえに、アッサリつきあっているようだがね」と、気のなさそうな返事を返す。

 しかし、それで引き返す杉村ではない。「そりゃわからないわよ、そんなこと、おなかンなかで何を思ってるか」、「一度聞いてごらんなさいよ」と畳みかけ、「なるほどね……じゃ聞いてみようか」と、笠は応じる。

 映画はここに及んで、実にさりげなく、結婚適齢期を迎えた娘を持つどこの家庭でもあるような、当たり前の嫁入り話という形で、原節子の内心で蠢(うごめ)いている「父殺し」の本能的欲動に対抗する形で、父の方に働く「子殺し」の主題が提示されることになる。

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筆者

末延芳晴

末延芳晴(すえのぶ・よしはる) 評論家

1942年生まれ。東京大学文学部中国文学科卒業、同大学院修士課程中退。1973年から1998年までニューヨークに在住。2012年、『正岡子規、従軍す』で第24回和辻哲郎文化賞受賞。『原節子、号泣す』(集英社新書)、『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(平凡社)、『夏目金之助ロンドンに狂せり』(青土社)など著書多数。ブログ:「子規 折々の草花写真帖」