岩村美佳(いわむら・みか) フリーランスフォトグラファー、ライター
ウェディング小物のディレクターをしていたときに、多くのデザイナーや職人たちの仕事に触れ、「自分も手に職をつけたい」と以前から好きだったカメラの勉強をはじめたことがきっかけで、フォトグラファーに。現在、演劇分野をメインにライターとしても活動している。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【公演評】「ミス・サイゴン」
ミュージカル「ミス・サイゴン」東京公演が、帝国劇場で上演中だ(2017年1月まで全国6都市で上演)。1992年の日本初演から主演のエンジニア役を演じ続けてきた市村正親のファイナル公演。同エンジニア役のダイアモンド☆ユカイをはじめとする新キャストも加わった。※ダイアモンド☆ユカイの☆は、六芒星(ろくぼうせい)のマーク。
メインキャストはすべてダブルかトリプルキャスト。筆者が見たキャストは、エンジニア:ダイアモンド☆ユカイ、キム:笹本玲奈、クリス:小野田龍之介、ジョン:パク・ソンファン、エレン:知念里奈、トゥイ:藤岡正明、ジジ:中野加奈子。「ミス・サイゴン」初出演のダイアモンド☆ユカイ、 小野田、 パク、2004年から5度目の出演となる笹本、別の役を演じた経験を持つ知念(キム役)、藤岡(クリス役)という、さまざまな経験をもつキャストたちが熱演していた。
ベトナム戦争で実際に起こった事実をもとに描かれた作品で、戦争によって生み出された悲劇や究極の愛を描いている。描かれるテーマがテーマなだけに、「楽しかった」「感動した」という作品ではない。物語が進めば進むほど考え込み、涙する。そのなかで、ひたすらアメリカを夢見て、しぶとく生き抜くエンジニアの姿に希望も感じられた。見終えて感じる疲労感をしっかりと受け止め、席を立った。
◆ミュージカル「ミス・サイゴン」
《プレビュー公演》2016年10月15日(土)~18日(火) 帝国劇場
《東京公演》2016年10月19日(水)~11月23日(水・祝) 帝国劇場
《岩手公演》2016年12月10日(土)~11日(日) 岩手県民会館 大ホール
《鹿児島公演》2016年12月17日(土)~18日(日) 鹿児島市民文化ホール(第1)
《福岡公演》2016年12月23日(金・祝)~25日(日) 久留米シティプラザ ザ・グランドホール
《大阪公演》2016年12月30日(金)~2017年1月15日(日) 梅田芸術劇場メインホール
《名古屋公演》2017年1月19日(木)~22日(日) 愛知県芸術劇場 大ホール⇒内容については公式ホームページなどでご確認ください。
アメリカへ渡り豊かに暮らす夢を見ながらG.I.を相手にナイトクラブを営むエンジニア、爆撃で故郷の村と両親を失った少女キム、アメリカ兵のクリスを中心に物語ははじまる。
ベトナム戦争末期、エンジニアに拾われたキムの初めての客は、長引く戦争で虚無感にさいなまれていたクリス。一夜を共にしたふたりは互いの中に救いを見いだし、恋に落ちる。幸せなふたりの前に、キムの婚約者でベトコンのトゥイが現れ、キムが敵兵と一緒にいることに激怒し、アメリカの敗北は近いと言い捨てて去っていく。クリスはキムを国へ連れて帰ると決めるが、サイゴン陥落はすぐそこに迫っていた。
戦争が終わり、社会主義国家となったベトナム。収容所で再教育を受けていたエンジニアは、人民委員長となったトゥイの前に引き出され、キムを探すように命じられる。キムはクリスとの再会を信じながら難民キャンプに身を潜めていた。しかし、帰還したアメリカで今もベトナムの悪夢に苦しむクリスの傍らには、献身的に支える妻エレンの姿があった。エンジニアの手引きでキムに再会したトゥイは結婚を迫るが、キムはかたくなに拒み、クリスとの息子タムの存在を明らかにする。逆上したトゥイに我が子を殺されそうになり、キムは彼を撃ち殺してしまう。彼女の頼る先はエンジニアしかなかった。混血のタムは、アメリカ行きの夢を捨てられないエンジニアにとっては入国許可証も同然に映る。エンジニアと共に、キム母子は難民の群れに紛れ国境を越えていく……。(公式パンフレットから)
兵士たちの息抜きの場ナイトクラブの退廃と夢、社会主義国家建国3周年を祝うホーチミン(旧サイゴン)の式典を描く場面の重い異質感、エンジニアが「アメリカンドリーム」を歌う場面の虚構のきらびやかさなど、戦争の悲惨さを描きながらも社会背景や人間の欲、夢などが鮮明に描かれている。
物語の後半でキムとクリスが離れてしまった理由が明かされる。「ミス・サイゴン」の見せ場のひとつだ。ベトナム陥落の時がせまり、アメリカ兵の脱出用ヘリが舞台上に登場すると、客席には上空からリアルに風が吹き下ろす。視覚、聴覚だけでなく、触覚でも体感できるまれな場面だ。
1992年から何度も上演されている大作ミュージカルという作品ながら、私は2014年に初めて観劇し、今回が2度目となる。特に避けてきたわけではないが、「上演し続けているからいつか見よう」とのんびりと構えていた。今さら、あのキャストで見ておけば良かったと後悔するのだが……。
初めて観劇したとき、キムのラストが悲しすぎて、泣き疲れてしまった記憶がある。でも今回、違う感想を抱いた。キムが生き残った場合を考えると、愛するクリスが自分の名をさけびつづけるその腕のなかで息絶えていくのは、むしろ幸せだったかもしれないと思った。その向こうでタムを抱きしめるエレンとの対比が印象的だ。エレンはこの悲劇を受け止め、クリスを支えながら強く優しくタムを育てていくのだろうと、その未来が見えるようだった。ひとりの男性を愛したふたりの女性の生き方が際立ち、そのどちらにも女の生き様が見える。それは演じた笹本と知念の力だろう。
特にエレンは、キムがクリスと幸せになるには邪魔な存在にもなってしまい、観客の共感を得るには難しい面もあるだろう。そのエレンの苦しみとクリスへの愛、キムとタムへの思いなど、細やかに演じた知念が素晴らしかった。
トゥイ役を演じる藤岡にインタビューした際、この作品は西洋人たちが描いたベトナム戦争で、トゥイを演じるにあたり、ベトコンとなりアメリカと戦うことを選んだ人々についてとことん調べると話していた。
初めて「ミス・サイゴン」を見たときを振り返ると、資本主義側の人々が描いた社会主義側と戦う物語を、生まれたときから資本主義の国で育った感覚で見たとき、大きな違和感はなかった。トゥイはキムを執拗(しつよう)に追い続けるストーカーのように映ったが、藤岡が演じるトゥイはどう映るだろうかと興味深く見た。
一番記憶に残るのは、キムと再会した場面だ。きっと会えると、キムをどれだけ求め探していたかを歌う姿は切ない。ところが、キムに拒まれキムにクリスとの子供がいると知ったとき、小刻みに震えながらがくぜんとし、こんなものは消さなければとタムを殺そうとせまるシーンが印象的だった。タムを守ろうと感情を爆発させるキムが人間らしく見えるのに対して、正しいと心酔するものが崩壊すると同時に、人格も壊れていく……トゥイはそんな風に見えた。抑制された人間がアンドロイドのように見える感覚というのだろうか。トゥイが見ていた世界はきっと狭かったのだろう。
さまざまな役をさまざまな視点から見たら、物語はもっと広がっていくだろう。この記事の執筆のあとに、違うキャストで数回見る予定になっているので、その違いも注目したい。まだまだ「ミス・サイゴン」初心者だが、何度も再演されていく大作ミュージカルを見るには、今からでも遅くない。
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