「好きでも1個」と書いたナンシー関さんの不在
2016年11月28日
ナンシー関さんが亡くなった後、寂しくて、大量のナンシー本を買って読んだ。ひとつ、心に残って、折に触れ思い出す文章がある。
「コンビニでおでんを買うとき、卵は1個なら1個。いくら好きでも、それを守る●●」
そんな文章だった。原典に当たれば正確にわかるのだが、私の中では、前半部分が腑に落ちていて、●●についてはなんとなく、「矜持」だったか、「節操」だったか、「気概」だったか、もっと柔らかな言葉だったか。そんなぐらいで、定着させている。
とにかく、時々、「卵は1個なら1個」と確認している私がいる。
ここで、電車の中で化粧をするかしないか問題だ。
東急電鉄のマナー広告「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ。」が賛否両論を招いたことについて、私なりに考えたとき、ナンシーさんの「コンビニおでんの卵」に至った。つまり、そういうことだよな、と。
確かに車内で化粧をされて、迷惑のかかる人はいない(粉などが飛んで喘息の人は困るかも、などきめ細かい「例外」を書いている人もネット上にはいたが)。
だけど「車内化粧=みっともない」に「そうだ!」と賛成している人の大半は、「迷惑だから、ダメだ」と言っているわけではないと思う。
だからこの「賛否」は、いずれにしろ噛み合わない。
私は、車内化粧はダメと思っている。確かに迷惑はしていないが、ダメと思う。「ダメだーー!!」と叫ぶつもりはないが、車内化粧を見ると、「おやおや」とは思う。「こらこら」と思う時も多い。
車内でいろいろなことをするのが“解禁”になったのは、いつのことだったろうか。私の中では、都営地下鉄の中で
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください