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[書評]『インド、大国化への道。』

森尻純夫 著

今野哲男 編集者・ライター

いつの間にか動いているもの 

 昨今のインドはどのような国かと問われたら、旧来の「東洋の神秘」的な返答にとどまる人が、日本にはまだまだいるような気がする。

 最近、昔からつき合いのある、元・バックパッカー氏が、久しぶりにインドに滞在している。SNSを通じて彼が送ってくる写真やレポートで見る生き生きした現地の生活の様子には、ムンバイやニューデリーなど、知名度のある先端の世界都市ではなく、ジョドプールやジャイサルメールといったプロ好みの地方都市からの情報が多いせいもあるだろうが、ほぼ旧来のイメージと違わない、ゆったりと汚れた「よきインド」という印象があるのだ。もちろん、それはそれで、リアルな実態であることは言うまでもないのだが。

『インド、大国化への道。――日本の未来を決めるのは、インド』(森尻純夫 著 而立書房) 定価:本体1900円+税『インド、大国化への道。――日本の未来を決めるのは、インド』(森尻純夫 著 而立書房) 定価:本体1900円+税
 なぜ、こんなことを言うのかと言えば、最近の「トランプ現象」により、同盟国アメリカの実態について、われわれは、長い間自分たちに都合のいい情報だけで知っているつもりになっていたという、戦後以降のお寒い実態をあからさまに思い知らされたからだ(この経験は、最近よく言われるようになった「属国性」の賜物の一つと見ることもできるし、TPP騒ぎに見られるように、グローバリゼーションに引きずられた権力の「慾ボケ」がもたらした事態だと見ることも可能だろう)。

 極端なことを言えば、サンフランシスコの片面講和に始まった戦後の意図的な欺瞞によって、われわれはウォール街とワシントンDCの先端情報だけでアメリカを理解するという半ば恣意的な思い違いに、半世紀以上も踊らされてきたわけである(「トランプ現象」については、ウィスコンシンなど、2、3州で大統領選挙の再集計が実施されれば、場合によっては結果が覆る可能性さえあるという前代未聞の余震が進行中だ)。

 恣意的な思い違いという点では、「遠いアジア」についても同様だった。対アメリカの場合は、先端の政治や経済の動きに捉われ、見るべき国家体質や文化的な伝統をよく見ないという弊害があったのに対して、中国と朝鮮半島と台湾、それにロシアを加えた最近隣国(と地域)を除いた「遠いアジア」については反対に、古き伝統や習俗に目が向きがちで、新しさのほうは相対的に軽視してきた(最近隣の諸国と地域に関してはまた格別で、まるで戦後以降にしか歴史が存在しないかのように振る舞っている)。

 これは、一面を見て他面に目をつぶり、その状態で全体に関わる判断をなすという点では、「群盲象を評す」ような危ない所業だと言ってよいだろう。いまや、ほとんど児戯にも等しく見え、ハラハラするのに加え、虚しい笑いさえ誘われるようになってきた。

 さて、そんな我が国にとって、「遠いアジア」の代表格がインドである。アメリカと同様の、彼の国とのお寒い関係の実態は、この本が上梓された直後の11月15日に起きた、政府がインドとの原子力協定に署名するという事態でも明らかだ。核兵器を持ちながら核拡散防止条約(NPT)に加盟しようとしないインドに原発の技術輸出の道を開くことは、核不拡散の理念に逆行するばかりでなく、「3・11の教訓」はもちろん、「被爆国の矜持」さえ放り出しかねない行為なのではないか。

 いまの政府はどうやらわかっていないようだが、第二次大戦の加虐という拭い難いトラウマを背負う日本にとって、国際的なアイデンティティを損ないかねない愚挙だと思うし、日露戦争以来の日印の歴史的な綾も無視するものだ。こんなことがさしたる抵抗もなくまかり通ってしまうのも、アメリカの現状に慌てふためいているのと同じ構造に起因しているのだと思う。

 本書には、現地大学に勤務しながら、長年インドの現実を見つめてきた著者の、インドと日本へのメッセージが、私的な感慨を含みつつ、語り言葉で連綿と記されている。インタビュー形式の実際の言動がどれだけ残っているかは定かではないが、喋り口調の勢いに引きずられてだろう、書き言葉では捨象されかねない微妙な息遣いが、とてもリアルに聴こえてくる。

 たとえばインドは、21世紀の半ばになれば、中国を超えて世界一の人口を抱え(中国を加えるとこの2国だけで世界の人口のほぼ4分の1になる!)、世界5位以内のGDPを誇る経済大国に成長すると予想されている。2014年に成立したナレンドラ・モディ政権は、「メイク・イン・インディア」の旗を掲げ、ITサービスで世界に飛躍した90年代半ばのインドから、すでに製造業を主眼としたより堅実な体制へと方向転換しているという。

 ちなみに本書で語られる広範なテーマを、章題と主な小見出しで拾ってみる。

第一章 カーストとは何なのか――実録・森の狩猟民が主任教授になった/カーストは幻想の産物 ほか
第二章 新首相ナレンドラ・モディ――ヒンドゥ主義者たちのリアリズム/友好国、日本とロシア ほか
第三章 農政学から民俗へ 日本とインドの共通点――零細小作農業とダリト(不可触民)/あらためて注目される柳田國男 ほか
第四章 二〇一六年、未来へ発信する日本とインド――中国の攻勢/日本とインド、その未来 ほか

 どうだろう。私事で恐縮だが、私には「Windows95」が普及した1995年に、当時関係していた産業翻訳の業界で、コンピュータソフト・マニュアルのローカライゼーション(外国語マニュアルの日本語へのカスタマイズ)が進み、マネージメントと作業現場の双方に、インド国籍の優秀な技術者が目立ち始めたという強烈な記憶がある。

 しかし、その後は業界から離れたせいと、インド以外の人たちが大量に流入するようになったこともあって、上記にある「ITサービスで世界に飛躍した90年代半ばから、すでに製造業を主眼としたより堅実な体制へと方向転換」している事実には、迂闊にも気づかないままだった。気がついたら、またも世界の実情からズレていたというのが、本書を読んでの正直な印象だ。

 論の当否とそれを説く姿勢のよさはもちろん大切だ。しかし、いまは本書にあるような、必ずしも整合性にこだわらない、現地の語り言葉による雑多でリアルな勢いのある情報も、冒頭に紹介した元・バックパッカー氏のレポート同様、重要度を増しているように思える。旧来の二者択一的な幻想と形式的整合性へのこだわりを脱して、日本人が長らく苦手にしてきた、彼我の食い違いの中に仄(ほの)見えるリアルで矛盾だらけの実体にこそ、遍(あまね)く目を向けるべきなのだ。

 トランプ現象やインドだけではない。イギリスのEU離脱、フランスのルペン、フィリピンのドゥテルテ、韓国のパクと、ここ数年で、世界は瞬く間に演劇的な不確実性に満ち溢れた感がある。20世紀にたとえれば、第一次大戦前夜に似た危うい時代なのかもしれない。本書の著者が、旧い演劇観を転覆したかつてのアングラ演劇の雄・鈴木忠司の「早稲田小劇場」を引き継ぎ、「早稲田銅鑼魔館」を設立した演劇人であることが、何か象徴的に思えるのだ。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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