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[書評]『現代貧乏物語』

橋本健二 著

佐藤美奈子 編集者・批評家

格差拡大は誰にも恵みをもたらさない 

 ひたひたと、しかし確実にこの社会に歩み寄る「貧困」の恐ろしさを改めて認識させられた。「貧乏」「貧困」がまったく他人事ではないという、みずからの事情もある。

 しかしそれだけでなく、2005年に「格差社会」が流行語となり、直接、間接を問わずかなり悲惨な「貧困」をめぐる実話を見聞きもし、「格差」「貧困」の問題が深刻だと頭ではわかっているにもかかわらず、依然、何かすっきりしない思いの正体を突き止めたくて、本書を手に取った。

『現代貧乏物語』(橋本健二 著 弘文堂) 定価:本体2000円+税拡大『現代貧乏物語』(橋本健二 著 弘文堂) 定価:本体2000円+税
 本書は、戦前を代表するマルクス主義経済学者・河上肇(1879~1946)によるベストセラー作品『貧乏物語』の「100年後の続編」であると銘打つ(帯)。

 河上の『貧乏物語』を換骨奪胎し、「現代に甦らせる」べく試みられた本書は、格差の問題を約30年研究している社会学者の著者らしく、豊富なデータを示し解説を加えることで、現代においてなぜ「貧困」「格差」の問題が重要なのか、そして格差拡大が誰にとっても恵みをもたらさない根拠を、丹念に説明していく。

 「序」で『貧乏物語』が長く影響を持ち得た理由を述べたあとは、貧困と格差拡大の現状・原因・克服法とつづく河上版を踏襲する構成で、タイトルにふさわしく、まさに「現代版」の『貧乏物語』が語られるわけだ。

 私が本書を手にした理由である「何かすっきりしない思いの正体」は、読後、突き止められたか。

 10割は難しくても、9割は突き止められたと感じる。それは何かというと、貧困や格差拡大を正当化し、容認しようとするイデオロギーがこの社会には根強くあり、それらがあるために、現代に特徴的な貧困の性質――どれだけ働いても「貧乏」から逃れられない仕組みが加速度的に進行している現実――が覆い隠されている、ということと関わる。

 著者は次の4つが、貧困や格差拡大を容認しようとする代表的なイデオロギーだという。つまり「機会の平等」論、「自己責任」論、「努力した人が報われる」論、「トリクルダウン」論である。

 「機会の平等」論は、平等なチャンスのもとで行なわれる公正な競争では、結果として格差を生むのは当然で、それは受け入れられなければならない、というもの。

 「自己責任」論は文字通り個人の行動の責任を当の個人に帰す、というもの。高リスクを承知で金融商品に投資した人が実際に損失を負った場合、それを「自己責任」だ、とする文脈で使われる段階はまだ理解できる。しかし、望まずに非正規労働者になるのも失業するのも、すべて「自己責任」で片付けられる論調、また貧困の当事者も「自分が悪いのだ」と考えるような風潮があることを本書では強調し、読者の注意を「自己責任」論が孕む問題へと促す。

 「努力した人が報われる」論は、最初の「機会の平等」論と相似関係にあり、努力した人が競争に勝つのだから、そこで格差が生まれるのは当然だとする論。

 「トリクルダウン」論は、経済成長が最初は富裕層を豊かにするが、その富はやがて貧困層にも及ぶ、とするもの。

 著者はこれら4つのイデオロギーの論拠をすべて、覆していく。「若い頃の貧乏は買ってでもしろ」といった、何か「麗しいもの」として貧困を捉える見方が、現代世界では完全に成り立たなくなっている理由を示すのだ。

 こういう現実を直視するのは、けっして心地良い行為ではないかもしれない。しかし、やはり必要ではないか。直視することで初めて、社会における格差の縮小が必要であるという実感が得られるのだから。

 この「WEBRONZA」でも「格差社会」の記事はよく出ているし、佐藤優氏による、とてもわかりやすく説得力溢れる解釈と処方箋をそなえた現代語訳(『貧乏物語 現代語訳』講談社現代新書)も出ている。遅まきながら、私は本書をきっかけにしてこれらの著作・文章も読んだ。個人的な事情の有無にかかわらず、貧困を直視し考えるべきときが来ているのだ。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

佐藤美奈子

佐藤美奈子(さとう・みなこ) 編集者・批評家

1972年生まれ。書評紙「図書新聞」で記者・編集者をつとめた後、2008年よりフリーランスに。現在、講談社などで書籍編集・ライターの仕事をし、光文社古典新訳文庫で編集スタッフをつとめる。自身の読書の上では吉田一穂、田村隆一といった詩人の存在が大きい。「死と死者の文学」を統一テーマに「古井由吉論」「いとうせいこう・古川日出男論」(各100枚)を『エディターシップ』2、3号に発表。