1970年万博が果たした「転換点」の意味から考える
2016年12月02日
私は、1970年の大阪万博に行かなかった。東京の高校生にとって当時の大阪はそれほど身近な場所ではなかったし、少し世の中の見方を覚えたせいで、バンパクは胡散臭いお祭り騒ぎだと思いなしたからである。
それから40年後、2010年頃から自分の生きた時代のことを書くようになって、改めてこの万博が気にかかるようになった。しかし、実際に文献や資料に当たるようになったのは、2冊目の著書『「若者」の時代』(2015)を世の中に送り出してからだ。
もう一度、大阪万博をやろうとしている人々がいることは知っていたが、あえてそちらの情報には近づかなかった。自身の関心を当面は、「1970年の時代空間」で大阪万博が担った役割に集中させたかったからだ。
雑事が積み重なっていたため、執筆にかかったのは2016年の春だった。当初は1万5000字ぐらいのものを想定していたが、書き始めるとその規模ではすまないことがすぐに分かった。夏の終わりに一通り書き上げた原稿は、予定の分量の3倍を超える5万字ほどになっていた。ちょうどその頃、新聞の記事で、大阪府議会が2025年に開催する万博の基本構想をとりまとめようとしていることを知った。
有識者の意見聴取が始まったのは2015年春、基本構想検討会議の開始から終了までの期間は、ちょうど私が眠い眼をこすって原稿を書いていた時期に重なっている。
10月28日、大阪府議会は本会議で基本構想を決議、それに先立ち安倍内閣は、来春政府が博覧会国際事務局(BIE)に対し立候補を届け出る旨を発表した。
とりあえず概要を記せば、メインテーマは「人類の健康・長寿への挑戦」(Our Health, Our Future)。このテーマを実現するための視点(コンセプト)は「健康に貢献する第4次産業革命」である。企画書に見える「健康になる万博」というキャッチフレーズは、イベントの実利的メリットを示しているようだ。
入場者は3000万人を想定、うち140万人は海外からの客を見込んでいる。
開催経費は、会場建設費が1200~1300億円、運営費が690~740億円。運営費は入場料・出展敷地料などでまかなうが、会場建設費は国と大阪府が分担すると言われている。
2025年の時点で、世界と日本がどのようなかたちをしているのか、今正確な見取り図を示せる人は私の回りにはいない。「万博」というかつての近代的催事が、いかほどの威力を持ちうるのかも分からない。実感で言えば、メインテーマの「人類の健康・長寿への挑戦」のうち、「健康」はともかくも、この国においてさらなる「長寿」を求める声は多くないように思える。むしろ人々は「長寿」に飽き、疲れ果てているのではないか。
ただこうした政策的な評価は私の仕事ではない。また1970年万博との単純な比較によって、2025年万博の「貧しさ」をあげつらうことも(なるべく)差し控えておきたい。
まず考えてみたいのは、1970年万博が果たした
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