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[書評]『いつか見た映画館』

大林宣彦 著

上原昌弘 編集者・ジーグレイプ

少年の日の夢に賭ける監督の、映画ひとり語り 

 異彩を放つ、ダンボール製の函。背には和田誠の手書きの特徴的な袋文字で「大林宣彦 いつか見た映画館」とある。函を手に持てば(重い! 測ったら、およそ2kgあった)、2冊の本がおさまっていた。

『いつか見た映画館』(大林宣彦 著 七つ森書館) 定価:本体18000円+税『いつか見た映画館』(大林宣彦 著 七つ森書館) 定価:本体1万8000円+税
 本を取り出そうとすると、間に挟まっていた薄いDVDが一緒に飛び出てくる。予約して購入した者だけへのスペシャルなサービスである。

 DVDには、特典「ウソとマコトのジョン・ウェイン」の表題がある。視聴したところ、映画作品ではなく、大林宣彦監督がジョン・ウェインの秘話を語り下ろしたトークを収録した1枚であった。

 ディレクターとしてジョン・ウェインの子ども時代を追った監督は、彼の実像として、マッチョなタカ派ではなく、動物好きのナイーブな少年マリオン・ミッシェル・モリソン(ジョン・ウェインの本名)を見出す。

 彼はまた女性に対してもナイーブであり、『拳銃無宿』(米公開は1947年)で共演したゲイル・ラッセルに生涯恋い焦がれ、早世した彼女の主演ビデオを見続けながら死んだ。大林監督の硬軟織り交ぜた口調に、思わず引き込まれてしまった。

 そう、本書は、CS「衛星劇場」の懐かしの映画を上映する番組、「いつか見た映画館」6年分のオープニングとエンディングの解説トークを、カットすることなく(いや、むしろ1.5倍くらい加筆して)収録した、合計1300ページを超す大冊なのである。予約特典のDVDは、「本編」には収録されていないスペシャル・トークなのであった(版元に問い合わせたら、発売から2カ月経った現在はもうDVDはついていないという)。

 大林監督は2017年1月9日には79歳になる。いまだ実験精神にあふれた瑞々しい感性の作品を送り出すこの人も、現役の映画監督としては山田洋次に次ぐ長老格となった。日本の敗戦を体験したのは7歳のころ。戦前に映画館で見た映画も、事細かに記憶している(7歳以前の記憶!)彼にとって生涯最大の驚きは、戦後に解禁となったアメリカの明るく楽しい映画の数々であったという。それもそのはず、敵性国家であったアメリカのハリウッド映画は、日本との外交関係が剣呑になりはじめたころに、その黄金時代を迎えていたからである(『風と共に去りぬ』〈1939〉がその代表例)。

 戦争によって傑作の数々が6、7年分封印されており、敗戦と同時にどっと封切りとなった。監督の生まれ故郷の尾道に9軒あった映画館も上映ラッシュとなり、毎週つぎつぎとめぐりくるハリウッド大作に、大林少年は魅了され通しとなった。

 大林少年が見てきた戦後映画にどんなものがあったのか、概観してみよう。米占領期の日本(オキュパイド・ジャパン、1945~1951)に限れば、1946年公開『運命の饗宴』(1942)、1947年公開『ブーム・タウン』(1940)、『スイング・ホテル』(1942)、『晴れて今宵は』(1942)、1948年公開『カンサス騎兵隊』(1940)、1949年公開『ママの想い出』(1948)、『甦る熱球』(1949)、『ドリアン・グレイの肖像』(1945)、『拳銃無宿』(1947)などの作品群。

 特徴的なのは、『ママの想い出』『甦る熱球』など家族愛や夫婦愛を描いたホームドラマは即座に新作が輸入紹介され、ギャングの跋扈するアメリカの暗黒街を描いた作品は公開が許可されなかった、という事実である。例えばリチャード・ウィドマークの殺し屋の非情さが際立つ『死の接吻』などは、1947年の大ヒット作なのに日本公開は見送られ、占領期が終わった1952年になってようやく公開されたのであった。

 じつは『風と共に去りぬ』も日本初公開は1952年。本書によれば、奴隷制度を肯定的に描くこの作品は、日本人をアメリカに憧れさせる政策上よろしくない、との理由から公開が見送られていたのだという。

 85歳になる評者の父親にも、戦前戦後の映画状況を聞いてみた。映画マニア兼軍国少年だった父の持論は、「戦前は邦画、戦後は洋画の天下だ」というもの。

 戦後ではとくに、敗戦の翌年に見たディアナ・ダービン主演の『春の序曲』(1943)の印象が鮮烈であったという(グリア・ガースン主演の『キュリー夫人』(1943)も同時に見たらしいが、こちらはとんと記憶にないらしい)。明朗快活で悪人のいない娯楽作品が、日本軍がアッツ島で玉砕した年に製作されていた衝撃を、あらためて語ってくれた。つい半年前までの「敵国」で製作された映画だが、誰も気にすることはなかった、という。「だってハリウッド映画には戦争などまったく描かれていなかったから」。

 じつは「ハリウッド映画に戦争が描かれていない」というのは真実ではなく、描いていないものを選別して輸入したにすぎない。いや厳密にいえば、無縁と思えるどの作品にも戦争の影は濃厚に漂っている。しかし、オキュパイド・ジャパンへの政策として、GHQは、「戦争の要素」をかすかにでも含んだ映画を意図的に排除した。邦画であっても検閲してカットすることさえした。明るく正しく美しく、清潔な正義のヒーローが活躍するドラマが、民主主義下の日本国民の目に触れるものとして選び抜かれたのである。

 戦争記録映画の監督として軍に同行し、片方の目を失った巨匠ジョン・フォードの戦後ハリウッド復帰第1作『コレヒドール戦記』(1945)などは、「排除」された映画の代表である。

 これは1941〜42年の日本軍の電撃的なフィリピン攻略戦を、アメリカ側から描いた作品で、マッカーサーは将兵をコレヒドールに残したまま、自分と家族だけはひそかにオーストラリアへ逃亡する。いつもフォード映画でヒーローのジョン・ウェインは、ここでは脇役にまわっており、ヒロインのドナ・リードは日本軍の攻撃で行方不明、主役のロバート・モンゴメリーは敗戦によって本国送還となるという暗い話。アメリカ軍のみじめな敗戦ドラマである。

 加害者である日本での公開は、アメリカから9年おくれの1954年であった。そして戦後のジョン・フォードの西部劇には、リアルな戦争の悲劇が色濃く影を落としてゆくのである。

 つまり、アメリカが検閲によって大林少年に示したのは、「映画というウソ」であった。スクリーンの中にしか存在しない、虚偽の、善なるアメリカの平和、パックス・アメリカーナである。だが、監督はこのウソを、平和という夢を、あえて信じようとする。映画のなかの平和を現実のモノにするための努力の一環として、邦画も洋画も娯楽作を選び抜き、くだらないと一笑に付されるような作品の中にも魅力を見出して紹介し、啓蒙しようというのが、この大冊の一貫したテーマなのであった。

 例をあげれば、『東京五人男』(1945)がその典型。喜劇専門の早撮り監督の斎藤寅次郎が、東京の焼け跡の数日のロケで撮った「やっつけ映画」だが、そこでは闇市を支配するボスと対決する、底抜けに善良な5人の小市民(エンタツ、アチャコ、古川ロッパなど)が描き出されている。実際には暴力団の前身のようなグループの軍需物資の横流しがやむことはなかったし、戦争中と同じように、戦後もいまだ悪の駆逐される日は来ないわけだが、監督は映画の啓蒙の効果に期待することをやめない。それが「生き残り」の責務であるかのように。

 現実に、自らが自覚的に「洗脳」された「映画の平和」を、現代にも応用させようと、近年監督自身のつくる映画は、『この空の花』(2012)も『野のなななのか』(2014)も、平和を謳い上げたものばかりである。具体的にいえば安倍政権やひいてはトランプ大統領が主導するであろう弱肉強食の政治体制への対決姿勢が濃厚なのである。

 下巻巻末に書き下ろされている「敗戦少年の『日米戦争映画』史」は単行本1冊分はあろうかというボリュームだが、全編「太平洋戦争を忘れるな!」という叫びで満たされていた。

 以下の引用は、この書きおろしのなかで岡本喜八監督への評価を論じた部分だが、本書を貫くテーマを示しているように思えてならない。

 「(岡本喜八監督の作品『肉弾』に)僕はこの日本の敗戦後を、GHQの占領政策によるアメリカ映画を全身に浴びて、すっかりその虜(とりこ)になりながらも、自らの戦争に対する思いに誠実に向き合って生きようとされた、一映画作家の自恃(じじ)を見ます」

 『肉弾』(1968)はアメリカのコメディ映画の要素と反戦思想を綯(な)い交ぜにした、岡本監督の代表作であるが、これは若い映画作家志望者との架空対話のなかの一文であり、すなわち次世代へのメッセージとなっている。戦争を知る最後の世代は、「映画の未来」に賭けているのである。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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