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[書評]『宇沢弘文 傑作論文全ファイル』

宇沢弘文 著

木村剛久 著述家・翻訳家

未来に向けた「社会的共通資本」の構想  

 ふつう経済学者といえば、どうすれば経済活動が活発になり、国の経済規模を大きくできるかを考えている人のことを思い浮かべるかもしれない。しかし、世界的な経済学者として知られた宇沢弘文(1928〜2014)は、そうではなかった。経済第一の考え方が、いかに人や自然、社会を破壊しているかをあきらかにし、市場主義や国家主義に代わる「社会的共通資本」の構想を打ちだした。その業績は、今後も長く伝えられるだろう。

 宇沢にはすでに刊行された大量の著作があり、12巻の『著作集』(岩波書店)も出ている。しかし、そのすべてを読むのは困難だ。その点、今回の「全ファイル」は、宇沢の全体像をつかむ格好の窓口となる。それでも、A5版で420ページ。没後、残されていた5000万字におよぶ膨大な原稿から、主要な論文を選んで1冊にまとめるという編集作業は、多くの時間と労力を要したにちがいない。

『宇沢弘文 傑作論文全ファイル』(宇沢弘文 著 東洋経済新報社) 定価:本体4500円+税『宇沢弘文 傑作論文全ファイル』(宇沢弘文 著 東洋経済新報社) 定価:本体4500円+税
 宇沢は1948年に東京大学数学科に入学した。そのころ、日本の思想界をリードしていたのはマルクス主義だった。いくつかの勉強会にはいって、マルクス主義経済学を学んだが、とても理解できなかったという。

 だが、それは謙遜で、その体系にどこか違和感をおぼえていたのだろう。宇沢の考えに近かったのは、マルクスより、むしろミルやヴェブレンである。

 宇沢はそのうち数学より経済学を勉強するようになり、経済学部で近代経済学を本格的に学ぶようになる。それまで数学を学んできたかれにとって、数理経済学はまさにうってつけの分野だった。

 分権的経済計画に関する論文を執筆したところ、それがアメリカの経済学者、ケネス・アローに認められ、いきなり1956年に研究助手として、スタンフォード大学に招かれた。夢のような話である。

 スタンフォードで輝かしい業績を上げた宇沢は、1964年にシカゴ大学に教授として迎えられる。36歳のことだ。しかし、そのころシカゴ大学では、ミルトン・フリードマンの市場原理主義(新自由主義)派が勢力を拡大していた。人間の値打ちはどれだけもうけるかで決まるという新自由主義の考え方に、宇沢は嫌悪をおぼえた。

 当時、アメリカはベトナム戦争をエスカレートさせていた。アメリカ各地で反戦運動が巻き起こった。宇沢もまた反戦運動を支持する。だが、当局の弾圧は激しく、反戦運動にかかわった助教授たちは解雇され、多くの学生が逮捕された。正教授の宇沢は身分を保証されているため解雇を免れたが、大学を去っていくかれらにたいし、良心の呵責を覚えないわけにはいかなかった。

 そのころ東大の経済学部から帰ってこないかという誘いを受けた宇沢は、その要請を受け入れることにした。東大での身分は当面、助教授だったが、大学紛争の吹き荒れる1968年に帰国した宇沢は、翌年、すぐに教授に昇格した。

 しかし、12年ぶりに帰国した宇沢が見たのは、はなやかな高度成長とは裏腹の現実だった。混乱と破壊が日本社会をおおっていた。宇沢は水俣を訪れる。「水俣の地を訪れ、胎児性水俣病の患者に接したときの衝撃は、私の経済学の考え方を根本からくつがえし、人生観まで決定的に変えてしまった」と、そのときの思いを語っている。

 宇沢が心を痛めたのは、いわば商品世界の光と影の影の部分である。われわれの前にあるのは、完成された商品の姿でしかない。商品の生産過程や流通過程の内側は、表からはほとんどみえない。消費過程においても、商品は使用上の便利さと裏腹に、さまざまな害毒をまき散らす。

 最終処理にあたっての廃棄問題(ゴミ問題)も無視できない。商品世界の全体は表の論理だけではなく、裏の現実をみて、はじめて理解できる。社会的共通資本の発想は、いわば商品世界の裏の現実にどう対応するかという課題から生まれたとみることもできる。

 1974年に出版された『自動車の社会的費用』(岩波新書)は、宇沢の代表作のひとつである。十数年アメリカにいて日本に帰国した宇沢は、乗用車やトラックが東京の街なかをものすごいスピードで走りぬける様子にショックを受けた。しばらくは交通事故に遭わないかと、毎日ひやひやしていたという。

 日本でモータリゼーションがはじまるのは1950年代後半、マイカーブームがおきるのは60年代後半からだ。1967年に日本の人口は1億人を突破し、自動車の台数も1000万台を超えた。だが、それにともない、人びとは大気汚染と騒音、危険に悩まされるようになった。交通事故死も1970年に年1万6700人を超えた。そんなとき出版された宇沢の本は、おおきな反響を呼んだ。

 自動車には大きな利便性があるが、その害毒も深刻なものがあると宇沢は指摘する。自動車はすぐそこにある、走る凶器でもあるのだ。自動車が危険性と大気汚染をもたらし、人びとの生活環境をこわしていることはじゅうぶんに認識されなければならない。また自動車道路を確保するために、広い土地と空間が割かれている。道路建設にはさまざまな破壊や摩擦、犠牲をともなう。自動車社会から抜けださないかぎり、新たな時代の方向性は見いだせない、と宇沢は考えるようになる。

 新古典派理論とケインズ経済学を知り尽くした宇沢は、さまざまな社会問題に目を向けるうちに、経済学の限界を強く意識するようになった。経済学は環境破壊や人間疎外、豊かさのなかの貧困、インフレや失業、寡占、所得分配の不平等化といった現実の問題と向きあっていない。宇沢は日に日にそう感じるようになった。

 日本の高度経済成長は、資本主義的な市場経済制度のもと、重化学工業化を中心に急速なテンポで進められた。その結果、日本は製鉄、造船、自動車などの分野で世界をリードし、「経済大国」と呼ばれるようになった。GNPも拡大した。それと並行して、日本の国土は改造され、社会構造や人びとの生活様式は一変した。高速道路が建設され、新幹線が走り、飛行場がつくられた。住宅、自動車、電話、テレビ、服装、食事などをみると、日本人のくらしぶりは、ずいぶん豊かになったように思えた。

 だが、はたしてそうだろうか、と宇沢は問う。自然破壊と社会的・文化的環境の荒廃、人間の疲弊はむしろ目を覆うばかりだ。豊かにみえる消費生活も、その内容はきわめて貧困で殺伐としている。市場経済が発達するにつれ、「ありとあらゆるものが市場機構を通じて取り引きされ、利潤追求の対象となり、人々はできるだけ利己的な立場に立って競争的に行動するという傾向がますます強くなってきた」と、宇沢はいう。

 市場がすべて、経済がすべてというのが、市場原理主義の考え方である。ケインズ経済学では市場の欠陥(恐慌や失業)に対処するのが政府の役割とされてきた。ところが、市場原理主義では、市場の拡大に奉仕するのが、政府の役割になってしまった。宇沢も現実に対応できないケインズ経済学に限界を感じていた。だが、その思考は市場原理主義派とは逆の方向をたどった。

 公害や自動車の問題を考えるうちに、宇沢は「社会的共通資本」の概念に行き着く。社会的共通資本は自然環境だけをさすわけではない。道路、鉄道、電力などのインフラ、さらには医療、教育、金融、行政などの「制度資本」も社会的共通資本に含まれる。こうした社会的共通資本を「社会的な基準にもとづいて管理・維持し」、それによって「公正で社会正義に適った安定的な社会を実現」することこそが、ポスト・ケインズ経済学の課題なのではないか、と宇沢は考えるようになる。

 マルクスは資本を私有財産ととらえ、その権力性を否定したが、宇沢は資本に、市民の共有財産としての資本という視角を加えた。私有財産でもなく、国家財産でもなく、市民の共有財産としての「資本」が存在する。その「資本」すなわち「社会的共通資本」は、つねに補充され、拡張されなければならない。それが豊かな社会の基盤になっていく。こうした社会的共通資本の管理・維持は、国家や企業によってなされるのではなく、関係する団体やコミュニティによってなされるべきだ、と宇沢は主張した。

 そのなかでも、注目すべきは宇沢の環境問題への取り組みだった。経済活動が活発化すればするほど、環境は破壊されやすい。だが、環境を破壊した企業や個人は、たいがいその対価を支払わない。「破壊した社会的共通資本に対して、その帰属価格による評価額を社会に支払うという制度を確立する必要がある」と宇沢はいう。公害防止は、けっきょくそこから始まるほかないのだ。

 自然環境が資本とみなされるのは、それが人間にとって、いわば原資(生存条件)だからである。森林や海洋、土地、大気、水、鉱物などは無限にあるようにみえて、限られた資源である。しかも、自然環境は単に物質的に存在しているわけではなく、エコロジカルな共存システムのもとで成り立っている。

 伝統的社会は「エコ・システムが持続的に維持できるように、その自然資源の利用にかんする社会的規範をつくり出してきた」。ところが、近代にいたると、自然にたいする人間の優位という思想が強まり、自然環境の破壊、収奪が加速度的に進み、人類の社会的共通資本の破壊につながった。

 工業化と都市化は、1960年代から70年代にかけて、多くの公害問題を生み落とした。その後、有害な化学物質の排出規制がなされ、公害の深刻化にはある程度の歯止めがかかった。とはいえ、地球温暖化、生物種の多様性の喪失、海洋の汚染、砂漠化などにどう対応するかは、まさにこれからの課題だ、と宇沢はいう。

 とりわけ宇沢が熱心に取り組んだのが、地球温暖化問題だった。地球環境問題への対応がむずかしいのは、その規制に関する国際的合意を形成するのがきわめて困難だからだ。たとえばCO²の排出は、一国だけではなく全世界に影響をもたらす。大気は人類にとって最大の社会的共通資本だといってもよい。それを管理・維持するには、どのような制度やルールをつくっていけばよいのか。そのことを、宇沢は考えつづけた。いま、どこかで歯止めをかけなければ、地球環境は取り返しのつかない事態を招く恐れがある。

 宇沢はその対策の一つとして、炭素税の導入を提案した。炭素税が導入されれば、企業も個人も二酸化炭素の排出量を抑制する方向で行動することが期待される。とはいえ、炭素税は世界一律にかければよいというものではない。各国の一人当たり国民所得を考慮してかけるのがベターだろう。その方式を宇沢は「比例的炭素税」と名づけた。ヨーロッパではすでに炭素税が導入されるようになった。だが、経済を優先する日本やアメリカの取り組みは遅れている。宇沢の唱えた「大気安定化国際基金」の構想も、いまだに実現されていない。

 宇沢が教育問題に熱心に取り組んだことも知っておくべきだろう。日本の学校教育は全面的危機にある。その根源に横たわっているのは、「非人間的、反倫理的な受験地獄を生み出してきた現行の学校教育制度の矛盾」であり、とりわけセンター試験は、およそ考えられるかぎり最悪の大学入試制度だ、と宇沢はみていた。センター試験に象徴される人間の差別化と規格化が、心身ともにすさみきった子どもたちを生む要因となっている。加えて教科書検定制度などにみられる文部官僚による国家主義的な統制が、子どもたちの自由な発展をいかに阻害しているか、と宇沢は批判する。

 宇沢は教育を社会的共通資本として位置づけていた。教育を国家や市場原理から切り離し、社会全体の共有財産として制度化することをめざしていた。政府は教育という自由な社会的資本が機能するように財政的支援をおこなうことを義務づけられるが、けっして教育内容に干渉してはならない。

 教育内容は、社会から認められた、教育にかかわる職業的専門家が責任を負うものである。教育の費用に関しては、「国民所得のうち、学校教育に投下された費用の割合が高ければ、高いほど望ましい」と述べている。宇沢によれば、真に豊かな社会とは、環境をはじめとして、医療や教育、農業などの社会的共通資本、すなわち公共的制度がより充実している社会をさすのだ。

 残念ながら、現在の日本はますます空虚な経済優先社会のビジョンを加速させようとしている。宇沢の示した展望は、それとは異なる未来の方向性として徐々に理解されつつある。次世代に残された課題は、社会的共通資本の構想にもとづく政治経済システムの全体像をえがくことだといえるだろう。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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