高野慎三 著
2017年01月18日
日本の現代マンガは、手塚治虫を起点にして、それが太い幹に育ち枝葉を茂らせて隆盛期を迎えたというのが、マンガ史のほぼ定説だと言ってよい。その一方で、紙芝居から貸本マンガに転身して後の劇画ブームを作り出した白土三平や水木しげるほかの存在の大きさも見逃すことはできない。
この本は、60年代に青林堂の『ガロ』の編集に関わり、白土、水木、つげ義春らと親しく交流し、マンガや劇画に関する著作も多い、まさに戦後マンガ史の生き字引とも言える著者が、自らのマンガ体験と貸本マンガの盛衰を、敗戦後社会の変容と重ねて描く、エキサイティングな人物誌であり、世相史であり、ユニークな社会状況論でもある。
貸本マンガが登場するのは1953年頃になってからだ。紙芝居関係の本によると、1953年のテレビの放送開始と同時に紙芝居が衰退に向かったとされているが、その解釈には無理がある。延々と続きを待たなければならなかった紙芝居と比べて、ラストまで一気に読み通せる貸本マンガと、その頃に人気になった『鞍馬天狗』『怪傑黒頭巾』『笛吹童子』『里見八犬伝』などの子ども向け時代劇映画の台頭が、紙芝居の衰退に影響していたのではないかと、著者は同時代的な体験から推測してみせるのだ。
貸本マンガは、貸本屋向けに作られたもので、一般書店で売られることはまずない。書店でマンガ雑誌やマンガ本を買う経済的な余裕のない読者を対象にしたのだろう。
1940年代後半に、街頭紙芝居で人気だった永松健夫の「黄金バット」をメインにした『冒険活劇文庫』(後の『少年画報』)や、山川惣治の「少年王者」を掲載した『おもしろブック』(後の『少年ブック』)などのマンガ雑誌が創刊され、『少年』や『冒険王』とともに1950年代前半には既にマンガブームが起こっていた。しかし、そういった雑誌を容易に購入できない子どもたちにとって、貸本マンガは魅力的だったに違いない。最盛期、貸本屋は全国に2万店から3万店はあったというから、当時の書店数2万6000店に匹敵する。
戦後の街頭紙芝居は、品川区、大田区、荒川区といった地区を中心に発展し、それらの地域に紙芝居の制作会社や配給元があり、紙芝居屋も多く暮らしていたという。そしてこの地域に貸本屋も多かったという。人口密集地で子どもの数も多かったし、零細工場も多く若年労働者がたくさん働いていた。
初期の貸本マンガは、「良い子のため」の「健全なマンガ」路線を標榜していたが、1950年代後半になると、街頭紙芝居に顕著だった猥雑でエネルギッシュなリアリズム作品が登場してくる。それらが、地方から上京してきて零細工場で働く若者たちの心情と呼応した。良識派を自認するマスコミは貸本マンガを「悪書」と糾弾し、追放キャンペーンを張ったが、その頃の中心読者は小中学生ではなく、義務教育を終えた若者たちだったのだ。
貸本マンガの6割が、少女マンガだったというのも初めて知った。そのうちの8割から9割が「母もの」「父もの」「バレエもの」「友情もの」ジャンルに大別され、戦争による父親の死、戦後の経済的困窮の中での母親の死、戦後の混乱の中での家族の離散といった困難な環境を主人公の少女が乗り越えていくというお涙頂戴ものが多い。それは戦後状況の反映でもあった。
戦後の社会状況との関係で言えば、紙芝居から転身した白土三平の登場は象徴的だった。白土は、戦前に治安維持法で投獄された父親の影響もあってか、10代半ばから社会的な関心が高く、義歯工場でアルバイトしながら単独講和反対のデモに参加し、20歳のときには「血のメーデー」の現場にもいて、警官の発砲による負傷者を目の当たりにしている。
「手塚が、自らの理想主義を作品の上で追い求めていたとき、白土は現実生活のなかで具体的な理想社会に向かっていたといえるのかもしれない」と著者は言う。そこからデビュー作とも言える『こがらし剣士』(1957年)が生まれ『忍者武芸帳 影丸伝』が誕生したのだ。
当時でも比較的地味にみられていた、つげ忠男の再評価や、「つげ義春『忍法秘帳』と安保論争の頃」、高橋真琴の『パリ~東京』『さくら並木』の復刻から貸本少女マンガにおける少女小説からの影響を読み取るあたりは、なかなかユニークだ。水木しげるの「少年戦記の会」との関わりや、読者投稿欄への対応についての叙述も興味深い。
貸本マンガの最盛期は1950年代後半から60年代初めにかけてのわずか5、6年間で、60年代に入ると貸本屋は衰退の一途をたどったという。その短期間に生み出された作品群が現代マンガに及ぼした影響は絶大であった。
にもかかわらず、戦後大衆文化史の中で正当に評価されているとは言い難い。そこにスポットを当てて、マンガ史の中で果たした実態を検証するため、著者らは「貸本マンガ史研究会」を立ち上げ、2000年に『貸本マンガ史研究』を創刊する。同誌に発表されたメンバーの研究成果を紹介しながら、自らのリアルな体験を織り交ぜて描きだされたこの本は、戦後マンガ史の盲点を鋭く突いて刺激的だ。
ちなみに、2016年の8月に刊行された『貸本マンガ史研究』通巻第26号の「特集・水木しげる」は、水木の反戦マンガ家としての評価に疑念をはさむ座談会などもあって、きわめて挑戦的でもあった。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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