柴田信さんの死……ぼくたちは迂闊だったのではないか?
2017年01月13日
「今朝、柴田信さんが、亡くなられました」
訃報は、突然訪れる。報せてくれたのは、柴田さんへの聞き取りを縦糸に、柴田さんの生い立ちを横糸に『口笛を吹きながら本を売る――柴田信、最終授業』(晶文社、2015年)を編んだ石橋毅史であった。業界紙の記者時代からよく知っており、最近は柴田さんを軸に会うことの多かった石橋は、柴田さんが亡くなった2016年10月12日の夕方に、ぼくに電話をくれたのだった。
7月28日には、柴田さんの城=岩波ブックセンターが1階に入っている岩波書店アネックスビル3階の岩波セミナールームで催された「第1回 勉強会―本屋で本を売る―多様化する流通の可能性と課題」に柴田さんと共に登壇し、その元気なお姿と変わらぬ情熱にあふれた檄に接したばかりである。
石橋が司会を務めた勉強会は、多くの出版関係者の参加を得、早くから満員札止めの盛況ぶりであった。柴田さんは、「第2回も近々やろう!」と、上機嫌だった。
86歳の柴田さんは、寝込んでいたわけでも休んでいたわけでもない。自らの店、更には出版・書店業界の明日を憂い、しかし決して希望を失わずに、旺盛に活動していた。まさに亡くなる前日まで、10月末開催の神保町ブックフェスティバルの実行委員の中心人物として、イベントの企画、調整に奔走していたという。
その日の朝、いつものように目覚めた柴田さんは、トイレに立ち、一度寝室に戻ったときに突然布団の上に倒れ、そのまま息を引き取った。そばにいた奥様の雅子さんにも、思いもよらない最期だっただろう。報せを聞いた石橋も、にわかには信じられなかった、という。
その週の土日に行われたお通夜とお葬式には、ぼくは参列できなかった。結局、多数の来場で小さな斎場が混乱することを避けるため家族葬とし、後日「お別れの会」を開くと告知された。それでも、柴田さんに特に近しかった業界関係者の何人かは、焼き場まで同行してお別れをしたと、石橋に聞いた。
翌週、ぼくにはたまたま上京する予定があり、迷惑でなければお宅までお邪魔してお参りしたい旨を、石橋に頼んで奥様に伝えてもらった。幸いお許しをいただき、10月21日(金)の朝、田無のお宅に伺った。
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