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1995年1月17日に起きていたこと

その日その瞬間へ立ち戻るために

高原耕平 大阪大学文学部博士後期課程

阪神・淡路大震災の発生時刻の12時間前に「生」の文字のそばで黙祷(もくとう)する人たち=16日午後5時46分、兵庫県宝塚市拡大阪神・淡路大震災の発生時刻の12時間前、ライトアップされた「生」の文字のそばで黙祷する人たち=2017年1月16日17時46分、兵庫県宝塚市の武庫川河川敷

 今日1月17日の朝、阪神淡路大震災から22年になった。大学の研究室の学部生に自分の研究を説明するとき、「1995年1月17日に神戸で大きな地震がありました」と言ってから、「みなさんが生まれた年のことです」とか「生まれる1年前のことです」などと付け加えなくてはならないことに気づいた。

 22年前のことだけれど、今朝のことでもある。このふしぎな感覚をどう説明すればよいかわからない。せめて、当時の記録や資料からたまたま拾った小さなかけらを並べておきたい。

揺れのふちでは

 1995年1月17日5時46分、淡路島北部を震央として大規模な地震が発生した。震源の深さは16キロ、マグニチュードは7.3、淡路島北端部野島断層の破断によるものであった(1)。最大で震度7に達する激しい揺れが神戸市や西宮市など阪神間の高密度都市を襲った。

  大阪に滞在していた東京大学の防災学者は、ホテルでニュースを見ながら死者数は6人と予測する(2)。震度5を記録した京都府で、主婦が揺れの間「もうこの家つぶれるワ」と布団をかぶって連呼する(3)。奈良県広陵町役場内の机の引き出しが全て開く(4)。

  震源から約90キロ離れた大阪府枚方市では、長周期の揺れで目覚めた3歳の娘が母親の腕の中に潜り込み、以後しばらくことばを話さなくなる(5)。約50キロ離れた兵庫県夢前町では、山のキジやカラスが30分ほど鳴き続ける(6)。

揺れの内側へ

  神戸海洋気象台のモニター6台が耐震固定ベルトを引きちぎって一斉に床に落ちる(7)。JR鷹取駅を発車したばかりの電車の運転手が必死にブレーキ弁にしがみつく。線路脇の暗闇から叫び声が聞こえる(8)。川崎重工神戸工場のLPG船が進水台から16メートルずり落ちる(9)。住友ゴム神戸工場で作業をしていた工員は、自分はどんな死に方をするのだろうかと揺れの中で考える(10)。

  揺れが収まった直後の静寂に、民家の瓦が落ちて割れる音が響く(11)。自宅の2階で寝ていた須磨区の小学生が窓を開けると、目の前に道路がある(12)。

  神戸市消防局管制室の119番通報ランプがほとんどすべて点灯し、1時間で500件の通報を受ける。消防ヘリから「家屋の破壊は市内全域にわたるも東部で著しい」との情報が入る(13)。地震発生17分後、最大10件の火災に同時対応する防災情報システムの放棄が決定される(14)。人工島ポートアイランドの兵庫県警港島庁舎では液状化のため床上30センチの浸水が生じ、指揮室設置が不可能となる(15)。

  7時26分頃、MBS(毎日放送)ラジオの川村龍一は「兵庫県芦屋市内全域で少なくとも20軒の家屋が倒壊し」というニュース原稿を読み上げながら、「これ20軒じゃ全然すんでないです。僕が通ってきた道すがらでも20軒以上ありましたから」と言う(16)。東灘区の中学生は倒壊家屋で身動きができず、「余震で口に入ってくる壁の土を吐き出す暇もなく呼吸を続けました」と後に作文に書く(17)。7時49分、気象庁が「平成七年兵庫県南部地震」と命名したことを発表する(18)。

震えの中へ

  芦屋市では即死状態で掘り出された娘を母親だけがあきらめきれず、病院へ運ぶ車の中で人工呼吸を続けている(19)。隣で寝ていた孫が絶命するのを聞いた祖父は、助けを呼ぶ妻に「桜子死んどるから、もうええやないか。わしらもここで死んでええやないか」と呼びかける(20)。パジャマ一枚で脱出した高校生の目の前で自宅が家族の声ごと火に包まれる。見知らぬ人たちが彼女にコートや靴下や靴を持ってくる(21)。体の上に倒れてきたタンスを母親にどけてもらった高校生は「日本全部がこんなんなっているのかな」と感じる(22)。小学生が近所の友だちの「上ちゃんちに行ったら、つぶれてた」。見間違えではないかと何度も目をこする(23)。東灘区青木町に下宿していた学生が目から血を流していた老婆を宮地病院まで連れてゆくと、その宮地病院が倒壊している(24)。

  灘区では1歳の娘の遺体のそばに母親が3日間添い寝する。2日後駆けつけた夫の母親は「孫を返してくれ。おまえが死んだほうがよかった」と言う(25)。同区の酒造メーカーで木造工場が倒壊し、10名の杜氏が生き埋めになり、2名が亡くなる(26)。長田区ではすすけた顔の男性が地面に置かれた布団をさすりながら「痛かったやろなぁ……、苦しかったやろなあ」とつぶやいている(27)。

  東灘区の甲南病院に併設された看護学校学生寮が損壊し、寮生たちが生き埋めになった友人を救出しようとするが、病院から非常呼集がかかる。救出作業を病院職員と交代し、パジャマの上に白衣を羽織って救急治療の支援に入る(28)。午前8時10分、NHKが「淡路で、死者1人」と報道する(29)。

瓦礫のそばで

  長田区の蓮池小学校では炊き出しのおにぎりの奪い合いが起きる(30)。1300人の避難者が詰めかけた鷹取中学校では遺体を安置する場所がなく、避難者と同居する(31)。本山第二小学校では避難者が教科書を燃やして暖を取る(32)。マリスト国際学園の体育館に避難した男性は、戦争末期の防空壕を思い起こす(33)。神戸市立中央市民病院では手動式の人工呼吸器を医師、看護婦、家族が59時間押し続け、入院患者の命をつなぐ(34)。

  文化住宅から脱出した主婦が午前7時ごろ東灘警察署にトイレを借りに行くと便器が汚物から溢れかけている(35)。 ・・・ログインして読む
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筆者

高原耕平

高原耕平(たかはら・こうへい) 大阪大学文学部博士後期課程

大阪大学文学部博士後期課程(臨床哲学専攻)。大阪大学未来共生イノベーター博士課程プログラム所属。1983年、神戸生まれ。大谷大学文学部哲学科卒。研究テーマは、トラウマに関する精神医学史、ドイツ哲学、阪神淡路大震災。最近の論文として、「反復する竹灯篭と延焼 阪神・淡路大震災における〈復興/風化〉と追悼の関係」(『未来共生学ジャーナル』3号、2016年)など。