2017年01月24日
私は、ノーベル賞選考委員会に聞きたいことがある。それは、同委員会は、過去のこととはいえ「マンハッタン計画」による原爆開発にノーベル賞を出せるかどうかである。これは、時代の到達した科学の成果を、時をうつさずに技術化したという点で、テクノロジーの歴史から見ても画期的であった。
いや、私が本当に問いたいのはこれではない。むしろ、ノーベル賞選考委員会がノーベル自身にノーベル賞を出せるかどうかを聞きたい。同委員会がこの問いに答えてくれるとは思わないが、むしろ私たちがノーベル賞を考えるとき、これは一度は自問する価値がある問いである。
もし「マンハッタン計画」にノーベル賞を出せないのなら、その理由があるはずである。それは、同計画が人類の空前絶後の殺戮の道具を作った点であろう。では、ノーベルに対してはどうなのか。ノーベルのダイナマイトやバリスタイト等は、時代の違いがあるとはいえ、本質的にいわば「19世紀末のマンハッタン計画」を通じて発明されたのではなかったか?
ここでは、国家権力による戦争目的の下に組織された「巨大科学」たる特質を念頭において、「19世紀のマンハッタン計画」と言っているのではない。先に言及した、科学的成果が直ちに技術化された事実それ自体を、念頭においているのでもない。そうではなく、当事者が、戦争への応用可能性を事実上信じて(そのことはこれまで詳しく述べてきた)、空前の殺傷兵器の開発がたゆみなくつづけられたという点を問題にしているのである。
あるいは、本来の「マンハッタン計画」に対して、ノーベルの比喩的なそれは鉱業・土木作業での苦しい労働を軽減した点で、本質的に異なると言えるだろうか。だが「マンハッタン計画」は、「原子力の平和利用」の可能性をも生み、それは――その後の、特に「3・11」後の本質的な紆余曲折はあったとはいえ――長きにわたって信奉されてきたのである。いや「3・11」を経ようと、一部の国をのぞけば、世界中の多くの政府・団体・人々が、いまだにこれを信奉しつづけている。
その点では、マンハッタン計画とノーベルによるダイナマイトの発明とは、本質的に違いはない。違いがないどころか、おそらく、実際に奪った人命の多さでは、ダイナマイトがもたらした惨害は原爆をはるかに上回っているに違いない。
さて、原爆開発にかかわった科学者たちに、それがいかに時代の最先端を行ったものであろうと、ノーベル賞など出せないとするなら、19世紀後半、破格の人類殺傷兵器を作ったノーベルの業績そのものについても、同じことが言えるのではないか。つまりノーベルにノーベル賞が出せないのなら、ノーベル賞自体の出自が問われることにならないか。
一方、ノーベルにノーベル賞が出せると言うなら、ではノーベルの業績はどのような意味で「人類にとっての価値ある営み」なのか。それを真剣に問えば、ダイナマイト・バリスタイトが大規模に人命を奪ってきた事実が問われるであろう。
しかもノーベルが、巨大トラストの経営者として、人間の争いをなくすためにという理屈で、可能な限り殺傷力の高い兵器を作ろうと生涯奔走してきた事実も、ノーベルが生んだ技術的成果と別個に問われなければならないのではないか。実際、佐藤栄作について、表向きの「非核三原則」の推進とは別個に、本音では何らそれを推進しようとする気持ちがなかった事実が、その後問題にされたのではなかったか。ノーベル委員会は佐藤への平和賞授賞を取り消す気はないようだが、事前に佐藤の本音が分かっていたら、決して平和賞を与えるようなことはしなかったであろう。
同様に、ノーベル委員会は、ノーベルの「抑止論」とそのための終生にわたる行動を知ったなら――そこには前述のように、前線・銃後の区別をなくし市民をせん滅の危険にさらすのがよい、そればかりか生物兵器さえ使ってよいとさえ主張した事実も含まれる――、ノーベルに対して決してノーベル賞を与えることはできなかったであろう。
こうして、ノーベルの業績を元にした基金で、人類に価値ある賞を出すなどということは、大いなる形容矛盾であると言わなければならないが、それは、冷静に考えてみれば誰にでも分かることではないか。
けれども今日、あまりにもノーベル賞が絶対的な権威にまで高められてしまった結果、市民が疑いをもつ可能性さえ奪われてしまったように思える。そして、今回、当初受賞に反応しなかったボブ・ディランを非難した選考委員長もまた、そうした世論を追い風にして、自らの発言を疑ってみる謙虚な姿勢と勇気を逸していたように思われる。
では、ノーベル賞自体をどうすべきなのか。
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