バーナビー・コンラッド三世 著 浜本隆三 訳
2017年02月09日
《一杯のアブサンは、この世のなによりも詩的である。一杯のアブサンと夕陽、両者はなにが違うというのか?》……本書に引用されたオスカー・ワイルドの言葉。淡い緑色の妖しい酒に心を許した人なら、この言葉に頷くかも知れない。
『アブサンの文化史——禁断の酒の二百年』(バーナビー・コンラッド三世 著 浜本隆三 訳 白水社)
店主いわく「70度以上の酒はふつう、ストレートで続けて飲むとむせ返るんですが、良質のアブサンだと風味とのどごしが絶妙で、つい……」。まさに《緑の妖精》(アブサンの比喩。本書で偶像としてしばしば登場)の魔力。
その数週間後に偶然出会い、飲み干すまで、じゃなく、読み通すまで一日も手放せなかったのが、本書だ。
文章は精彩に富み、図版も質量ともに惹きつける。緑色を隠し味にした装丁も美しい。著者は巻末紹介によれば「1952年生まれ、イェール大学卒業後、ジャーナリスト、雑誌編集者を経て作家活動に入る。本書が初の単著書」とある。
本文12章は、大きく4部から成ると言っていい。まず衝撃的な序曲というべき「一章:とあるアブサン殺人」。1905年スイスで起きた、アルコール中毒者による家族3人の殺害事件の経緯(本来のアブサンはスイス原産)。続いて「二章:マネ、ボードレール、そしてアブサンの時代」から「六章:ジャリとピカソ」までの5つの章。ここが本書の中核で、藝術家たちの多彩なアブサン遍歴が綴られる。3つめは「七章:古代から現代へ」から「十一章:禁止されてから」までの5つの章。ここは古代のニガヨモギ(主原料)から近代までの受容の歴史である。そして、最後の「十二章:アブサンはいま」。執筆時は製造禁止中だったスイスへ入国し、密造酒に巡り会うまでの著者の体験ルポ。そのあとに、「補遺」として「近年のアブサンについての研究」という分析が付く。アブサン中毒がアルコール依存症の一種なのか、アブサン特有の成分による特殊な症状なのかを科学的に説明。まことに周到な布陣である。
唸るのは、歴史的な起源から始めず、いきなり、著名画家や詩人たちの強烈な逸話で読者の心をつかむ構成だ。もちろん、産業化された飲料としての普及は19世紀で、それがヨーロッパの爛熟した都市文化と共鳴したのだから、そこに集う同時代の藝術家を導入部に置いた手順は、奇手ではない。
しかし、例えば、マネ作《アブサンを飲む男》(1859年)と、ドガ作《アブサン》(1876年)。両者とその周囲の個性溢れる作家・詩人たちと、この酒への時代の関心(惑溺でもいいけれど)が、生き生きとしたドラマの太い主軸となって、前半からたっぷり語られる。その面白さは抜群だ。ここでのアブサンは、「印象派」を概観し、その進展を凡庸になぞる月並みな絵画史の点景ではない。
中盤では、ゴッホとピカソが登場(2人の章はカラーが多い)。ピカソのアブサン作品は、《アブサンを飲む女》(1901年)から彫刻《アブサン・グラス》(1914年)に至るまで複数ある。青の時代からキュビズムへ、対象のアブサンは変わらず、天才の内なる表情の変化が語られる。
一方ゴッホには、《アブサン・グラスと水差し》(1886年)がある。驚くべきは、この作をはじめ、あの緑味を帯びた黄色への画家の偏愛は、アブサン過飲による視覚障害が原因と推測しているところ。もちろんゴッホと酒とくれば、ゴーギャン(もアブサン好き)への激情が切り離せない(切り離されたのは耳だけ)。
だが、ゴッホの狂態とゴーギャンの離反というお馴染みの一幕に至るまでに、読者はすでに、ヴェルレーヌとランボー、ワイルドとダウスン、それぞれの愛欲と友情の修羅場に立ち合わされている。つくづく天才たちの《業》に呆れるほかない。とくに、ヴェルレーヌにはうんざり。しかし、である。アブサンを讃える彼らの言葉は、(邦訳であっても)100年以上のちの醒めた心の深い部分まで、なんと激しく揺さぶることだろうか。
前半のこうした熱く憂鬱な活劇に対し、後半は、古代における玄妙な薬効から、近代の産業史の内実まで、冷静な情報が紹介される。スイスで生まれ、フランスの好事家を夢中にさせたアブサンは当初高価だったが、19世紀半ばに病害虫が葡萄農園を襲いワイン不足となると消費量が増え、労働者も親しむ酒となった。葡萄復活後も人気は衰えず、やがてワイン業者から敵視され、アルコール依存症の全てがアブサン中毒に帰せられた(当時フランスはアルコール消費世界一)。
20世紀に入ると各国でアブサン禁止が進み、フランスでも大きなうねりとなったが、税収減を懸念した政府は禁止を躊躇した。だが1914年ついに禁止となる(理由は、ビール育ちの屈強なドイツ人に勝つため!)。……このあたりまでが「文化史」の表通り。その後の新大陸の大立者の逸話も出てくるが、やや脇道っぽい。
原書初版は1988年(当時は禁止継続中だったスイスを含め、現在アブサンは各国で解禁)。あとがきでは、訳者のやや感傷的な回顧が披露され、バーの主人の私事を聞く気分。またアブサンを「キワモノ」と断定したうえで、読者に、「どのような知的・文化的遍歴を経てたどり着かれたのか……杯を交えながら、その来歴をお聞かせ願えたら」と求めている。望むところですと言いたいところだが、冒頭で告白した邂逅以降、《緑の妖精》との縁が深まらない自分に、その資格はない。ただ、長く余薫を楽しませてくれる良書を出してくれたことに、深く感謝したい。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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