シンプルさと熱気の融合
2017年02月07日
フランスのヌーヴェルヴァーグ(NV)は、ゴダール、トリュフォー、シャブロルらによって1950年代末に着火された“映画革命”だが、『パリ、恋人たちの影』の監督、フィリップ・ガレル(1948~)は、カラックス、ドワイヨン、ユスターシュ(81年ピストル自殺)らとともにNVの後継者である。その点でガレルは、大まかに「ポストNV」の作家と位置づけられる。
しかし、ガレルらのキャリアはけっして平坦ではなかった。その最大の理由は、当然ながら、先達の業績があまりにも偉大だったからであり、先達と似たような映画を撮るだけでは、その亜流・模倣者(エピゴーネン)にしかならないからだ。
よって、ガレルらの映画にはしばしば、ゴダールらの影響下から何とか脱し、暗中模索、試行錯誤の中でもがき苦しむ痛みや葛藤が感じ取れた。とりわけ、不幸にも“ゴダールの再来”などと呼ばれたガレルの場合は、恋愛を凝視しつつ孤独、嫉妬、裏切り、絶望、諦念、錯乱といったモチーフを内省的に描く彼の作風が、なにか苦行のような痛覚を発していた。
そしてそれゆえ、彼の映画を見ることもまた、ともすれば苦行に近い経験であった(たとえば、時代も場所も不明な砂漠を謎の男女がひたすら彷徨する『内なる傷跡』(1972)に顕著な、カメラがえんえんと被写体を写しつづけるガレル的長回しを見る“修行感”――)。
しかし、『パリ、恋人たちの影』(2015、73分)は、まったく違った。4人の男女の恋愛関係のもつれを、ガレルらしく濃密に描きながらも、その描き方がじつにシンプル、かつ軽やかなのだ。ラストでは
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