ピエール・ブルデュー 著 坂本さやか 坂本浩也 訳
2017年03月06日
ピエール・ブルデュー(1930―2002)は社会学者だが、彼の学問をもっとも的確に、ひとことで表すなら「超領域の人間学」ということになるだろう。人文・社会科学のあらゆるジャンルを横断しながら、その仕事はつねに「人間の自由」「人間の解放」に向けられていた。
『男性支配』(ピエール・ブルデュー 著 坂本さやか 坂本浩也 訳 藤原書店)
したがってそのブルデューが、支配構造の最たるものであり、みずからを対象化せざるをえない「男性支配」の問題に取り組んだのは、いわば論理的な必然であった。
ブルデューによれば、男性支配をめぐる大多数の分析は、そもそも問いの立てかた自体が間違っている。すなわち、「性をめぐる秩序は永続するのか変化するのか」という問いは科学的に素朴であり、しかも分析者の価値判断をともなうため、永続や変化を事実として(部分的に)確認するにとどまるか、希望として語るしかない。
これに対しブルデューが問題とするのは、いくらかの変化や前進があるものの、男性支配が「最終的にはこれほどやすやすと永続していること、そして、このうえなく耐えがたい生活条件が、これほど頻繁に、許容しうるもの、さらには自然にみえてしまうこと」である。支配構造の相対的な永続化、そして脱歴史化(既存の秩序が自然なものとして受け入れられること)の原因となっている歴史的メカニズムを問うことなしに、女性そして男性の解放は実現しない、というのが本書の前提である。
では、男性支配のメカニズムを浮き彫りにするためには何が必要か。それにはまず、男性支配の成り立ちと、時代と地域の違いを超えて再生産される仕組みを確認しなければならない。そこでブルデューが参照するのが、第一にアルジェリア北部カリビア地方の伝統的な農村社会であり、第二にヴァージニア・ウルフのモダニズム小説『灯台へ』である。
前者は、それ自体が男性支配の産物であるような無自覚な思考パターンに陥らないための選択であり、これは資本主義社会の特質を摘出するために資本主義以前の社会を分析した初期の代表作『資本主義のハビトゥス――アルジェリアの矛盾』(藤原書店)と同じ方法論といえる。一方、後者に関しブルデューは、男性支配が女性につきつける矛盾を女性の観点から描き出し、男性支配がもたらす男女それぞれの葛藤を表現した稀有な作品として論じているが、題材としては賛否のあるところかもしれない。
ともあれ、本書の主題からすればやや迂遠にも思えるこの二つの分析を経由して明らかになるのが、男性支配の永続化に寄与する「象徴的暴力」の作用である。象徴的暴力は、物理的・経済的暴力とは異なり、社会的な認識(ものの見方、区別や評価のしかた)を媒介にして、無意識にはたらく。
これは心的表象や幻想(頭の中の考え)やイデオロギーではなく、儀礼や神話をつうじて持続的にものごとと身体に組み込まれた構造的なシステムであり、したがって被支配者(女性)もまた意識することなく支配者(男性)の観点から構築されたさまざまなカテゴリーに基づいて行為をおこない、それゆえに支配関係が自然なものとして再生産されることになる。
ここで重要なのは、「そうした性向が構造の産物であること、そうした構造が有効性をもつのは性向ゆえであり、構造が性向を起動しその性向が構造の再生産に寄与している」という循環についてブルデューが指摘していることだ。
ただし、こういったからといって、ブルデューは「従属した」性向を引き合いに出して被害者(女性)を貶めているわけではない。そうではなく、象徴的暴力は「その作用をこうむる人びとの寄与なしには行使されえない」ということを理解しなければ、男性支配が永続化するメカニズムをとらえることはできないということなのだ。
この点からすると、多くのフェミニストもブルデューの批判の対象となる。なぜならばフェミニストは、女性をめぐる条件の変化を強調するあまり不変的な要素を見逃しているからであり、男性支配に関して人びとの意識改革に期待する彼女たちは、身体化された無意識の次元(象徴的暴力)を無視していることになるからである。
だが一方で、フェミニストがブルデューをきびしく批判するのもこの点においてである。フランス本国では、本書そのものが女性研究者や女性活動家の業績を評価し、男性支配を実践しているのではないか、という糾弾さえ見られたという。しかし、他の著作に関してもしばしばいわれるのだが、ブルデューを決定論者あるいは運命論者だと結論づけるのは誤りである。彼がことあるごとに「重力の法則があるからこそ飛べるのだ」と語っていたことを思い出そう。人間を拘束し規定している見えない構造を見えるようにすること。そこから解放ための運動は始まるのであり、希望の捏造は有害ですらあるだろう。
「既成秩序の正当化だと思われる危険を冒して、支配が作り出したありのままの被支配者(女性、労働者など)が、どのような特性を通じて自身への支配に加担する可能性があるのか、明確にする必要がある」とブルデューは書いている。かつてエドワード・W・サイードが、ブルデューの活動を評して、「それは普段顧みられることのない社会的な苦しみの真実を、また、制度的な頑迷が巧妙に隠ぺいする苦しみの真実を明らかにするたたかいだった」と述べたことがあるが、苦しみの真実を見据えることだけが人間の自由を導くと疑わなかった人間学者の姿を、私たちは本書にも認めることができる。
ブルデューが古くからこの問題に取り組み、晩年になって本書を書き残した意味を、同じひとりの男性として、内容とともにかみしめたい。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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