68歳、村上春樹の年齢的・世代的な意識と責任感
2017年03月17日
村上春樹の新作長編『騎士団長殺し』(第一部・第二部、新潮社)は、ベストセラーらしい間口の広さを構えた小説だ。
まず、例によって文章が平易で読みやすい。そして始まってまもなく、二つの謎が到来し、読者はミステリーでも読むように矢継ぎ早にページを繰ることができる。
次に、主人公の造形と置かれた環境も心地よい。主人公は商業的な肖像画で成功している36歳の画家だが、唐突に妻から離別を切り出され、2ヶ月ほどの失意の旅に出る。そして肖像画の仕事を辞めて、友人・雨田政彦の父が住んでいた小田原郊外の山荘に住み始める。その父とは高名な日本画家・雨田具彦(ともひこ)で、現在は認知症のため伊豆高原の養護施設に入所している。
自然に囲まれた没干渉の生活。商業主義と決別しての自由な創作活動。山荘にあったオペラのレコードを聴いて過ごす気ままな時間。さらには、地元で知り合った人妻が時々通ってきてセックスする。主人公は傷ついてはいるものの、当面の生活費には困らず、社会的なストレスも責任もない。なんとも気楽でインディペンデントな暮らしではないか。
そこへ例によって謎がもたらされる。一つは屋根裏部屋に隠された具彦の作品だ。モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』の「騎士団長殺し」のシーンを飛鳥時代に翻案した日本画で、紛れもない傑作だ。具彦はなぜこの絵を封印していたのか?
もう一つは、夜半に鳴る鈴の音に導かれて発掘した竪穴の石室。即身仏が籠るような穴は何の目的で作られたのか? 密室で鈴を鳴らしていたのは何者だったのか?
こうしたストーリーの牽引力に加え、個性的な人物が出没する。近くの山頂に瀟洒な屋敷を構える免色渉という50歳代のIT長者は、法外な価格を提示して主人公に肖像画を依頼し、奇妙な交際が始まる。やがて、彼は自分の娘かもしれない、元恋人の娘・秋川まりえの家が眺望できる邸宅を手に入れたのだとわかる。
さらに、第一部は「顕れるイデア編」、第二部は「遷ろうメタファー編」と副題を持つが、なんとその「イデア」と「メタファー」は概念ではなく登場人物として出てくるのだ。
謎や不思議な出来事は、これまた例によって過去の歴史や異世界への通路を開く。具彦は戦前のウィーンでナチ高官暗殺未遂事件に関わり、恋人を喪った。彼の弟は南京大虐殺に関わり自死した。「騎士団長殺し」の絵にはそのモチーフが込められているらしい。
一方、鈴を鳴らしていた「イデア」は騎士団長の姿を借りて登場し、主人公を異世界へと導く。文中の言葉を借りるなら、「象徴的で多義的な」プロットなのだ。その点が、ただの「面白い物語」を超えた「深さ」を感じさせる造りになっている。
このような謎や超常現象は、戦争と暴力とか、喪失と回復とか、さまざまな解釈や深読みを誘発する素地を秘めており、ハルキ・ファンはまたぞろ群れをなしてそこへ参加することだろう。そういった現象も、村上春樹人気を支える要素であることは間違いない。
ともあれ、作風にはなんら変化が見受けられず、村上春樹が得意としてきた物語パターンを踏襲したストーリーだということだ。具体的に整理すると――。
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