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[書評]『なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌う~』

ヨリス・ライエンダイク 著 関美和 訳

大槻慎二 編集者・田畑書店社主

倫理を排除し、目先の利益が優先される世界  

 ずいぶん大胆な邦題である。原題は“Swimming with Sharks”という。

『なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌うのか?』(ヨリス・ライエンダイク 著 関美和 訳 英治出版) 定価:本体1800円+税『なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌うのか?』(ヨリス・ライエンダイク 著 関美和 訳 英治出版) 定価:本体1800円+税
 あるバンカーが自分の仕事の危険な魅力を形容した台詞からとったものだが、もしもストレートに『サメと泳ぐ』という邦題がつけられていたら、本書を手にしていたかどうか。

 それだけこのタイトルに惹かれる(あるいは釣られる)事情がこちらにはあった。

 というのも、このところの世界的な右傾化、とりわけ日本においては安倍政権を支持する勢力がこれほど根強い(しつこい)のは何故なんだろうと常づね疑問を抱いているのだが、その単純でない理由のひとつに、社会の中枢を担うサラリーマン、しかもどちらかといえばエリートと呼ばれる層(その典型がマネー・エリートである)の意識の深いところにある何かと関係があるような気が漠然としていて、それがこのタイトルに呼応したのだろう。

 本書はオランダ人のジャーナリストである著者が、ロンドンの金融街(シティ=アメリカで言えばウォール街)で働く人びと200人以上にインタビューし、英ガーディアン紙のオンライン版に連載したブログをまとめたものである。

 オランダで25万部のベストセラーとなった前作『こうして世界は誤解する――ジャーナリズムの現場で私が考えたこと』(英治出版)と同じく、まったくの門外漢として(ゼロ地点から)対象にアプローチし、「自分のストーリーを出して」表現していくという斬新なジャーナリズムのスタイルに貫かれていることは、巻末付録の糸井重里氏との対談(「ほぼ日刊イトイ新聞」からの転載)に詳しい。

 隠語や専門用語が飛び交う金融業界に「ズブの素人」である著者が飛び込み、まずは「ネイティブ」になろうと努力し、次にそんなことは認めたくないと思うことばかりに出会い、ついには怒りの頂点に達するまで、その過程には何人ものトレーダー(株式証券業者)やクオンツ(複雑な金融モデルを設計し走らせている人)やバンカーが登場する。

 「自分のストーリーを出す」語り口からは、著者が彼らとどんな場所で会い、何を食べながら、どういう表情を浮かべて話をしたかが有り体に伝わってくるが、最もその個人を際立たせているのは、彼らの桁違いな収入である。20代で年収100万ポンドとか、月収が20万ポンドにボーナスが10万ポンドなんてのもざらだ。

 読みながらその都度電卓を叩いてため息をついてしまった。

 ちなみに10万ポンドは約1400万円。羨望を感じるにはあまりにかけ離れた世界だ。

 その尋常でない仕事を言い表した象徴的なことばが文中に出て来る。

 「今の金融業は、他人の頭でロシアンルーレットをやっているようなものだ」

 金融の世界を司っている文化とは、決して善悪の判断をしないということである。すべてが儲かったか否かで計られる世界では、倫理を問うなどご法度。どころか「もし道徳的な判断に基づいて意見を言ったら、エイリアンみたいに見られる」のだ。

 かような“倫理の排除”に加えて、目先の利益しか見ない近視眼的な価値観がすべてに優先する。みな10年先の世界がどうなるかよりも、明日自分の首が繋がっていること、あるいは誰かを出し抜いてトップに躍り出ることのほうが大切なのだ。

 本書の全体を通じて、著者が常に発している問いがある。

 それは、2008年のリーマンショックはなぜ起こったか、そして来るべき次のリーマンショックは未然に防げるのか、ということ。その問いを著者は何人もの金融人にぶつけるのだが、明確な答えは得られない。というか、そんなことは考えたくもない、というのが彼らの本音に違いない。

 そのことは原発事故のあとの我が国のありようを思わせる。

 「破たんの可能性のない資本主義なんて、地獄のないカトリックのようなものだ」

 という、笑ってしまうくらい真実をついた台詞が本書に出てくるが、この世からリーマンショック級の破たんが消えないのは、世界から原発がなくならないのと同格に思える。

 ところで、冒頭に掲出した世界の右傾化と金融街との関係だが、倫理の排除とネオリベラリズム、近視眼的な価値観と同調圧力との相関など、十全に論ずるためには比較検討しなければならないテーマが多岐にわたり、とてもこの紙幅では追いつかない。

 ただ、最後にひとつだけ、金融の王道を歩んできたという30代後半のアジア系の女性にインタビューした際の、著者とのやりとりを紹介しておきたい。

 イギリスの中流家庭に育ち、一流大学で学び、そのまま一流投資銀行に採用されたという彼女は、著者にこういう問いを投げかける。

 「今この瞬間にイスラエルがイランを攻撃するところだって聞いたとするわね。あなただったらどうする?」

 「わからないな。家に帰って家族の無事を確かめるとか?」

 当惑してちょっととぼけた答えを繰り出した著者を、彼女は驚いたように見た。そして笑ってこう言った。

 「そっか、あなた、現実の世界に生きてるのよね。私ならまずこう考える。原油供給の混乱を予期して、原油のコールオプションを買う。アメリカの防衛関連株を買う。それから次に起きることを予想する。投資の前提と評価にこれがどう影響するのかを考えるの。イスラエルの攻撃によって起きるあらゆるシナリオを思い浮かべて、それに確率をつける。だれが再建をすることになる? もし体制がアメリカ寄りになるなら、ハリバートンが有力、だから買い。もっとあるわ」

 おそらくは自衛隊を危険に晒す陰でぬくぬくと、軍需産業の株を夫名義で大量に買っているどこぞの国の防衛大臣も、国民の実質賃金よりも株価を重く見て、それを釣り上げるためか、国民の大切な年金を湯水のごとく投資に突っ込む首相も、彼女の側にある。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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