原節子自身の内側から立ち上がってくる「親殺し」の主題
2017年03月29日
[15]再び「子殺し」「親殺し」考 『晩春』8――能楽堂のシーンが表出するもの
映画『晩春』の中間部におけるクライマックスともいうべき能楽堂で、舞台正面席に原節子と笠智衆が隣り合わせに座り、それに三宅邦子が席を隔てて斜め向こう側の脇正面席に坐って、『杜若』の演能を見るシーンは、能の舞と謡と楽器の合奏によって表出される「音楽的時間」に乗って流れる6分15秒という台詞のない時間を25のショットに分節化し、それぞれを通して原節子の内心における思念や感情、情動の動きをリアルに表現したものである。
ここでは、それぞれのショットにおいて、父親の再婚相手と目される妙齢の女性が、同じ能楽堂で『杜若』を見ていることで、心穏やかならざるものを感じている原節子の内部において生起しているものについて、少しく立ち入って見ていくことにしたい。
さて、25のショットに分断された6分15秒の映像を以下の写真のように注意深く見ていくと、(12)と(14)、(16)と(18)、さらに(20)(22)(23)、そして最後の(25)までの画像を通して、原節子の顔の表情や角度を微妙に変化させていく抑制のよくきいた、しかも内発的自在性に裏付けられた演技が、いかに彼女の内部において生起する心理や感情、情念をリアルに表出しているかが、手に取るようによく分かる。
見落としてならないのは、彼女のこのような迫真的演技が、このシーンの時間の流れを宰領している能の舞と謡の引き延ばされた時間の流れに乗って、原の内部から自然に内発してくるものとして表出されていること。そしてもう一つ、最後の(25)から二つ前の(23-1)と(23-2)、あるいはもう一つ前の(22-1)から(22-6)までの映像で、絶望に打ちひしがれてといった感じで頭を低く垂れていた原が、最後のショットにおいて、内側から迸(ほとばし)り出てくるものを抑えかねたように、見えるものには見えると言ったレベルで胸と肩を細かく震わせ、面を少し上げ、「私も自立して、自分の人生を切り開かなければ!」といった風に、覚悟を固めた表情を見せることで、この映画における「父殺し」という根本主題が、はじめて原自身の内面から立ち上がってくる現場に、私たち自身も立ち合うことになるということである。
最後にもう一つ、ここでの6分15秒に及ぶ、いわば「無言のモノローグ」が、能の「序・破・急」の構造に則って構成されているということ。つまり、最初のショット(1)から(13)まで、演能に見入る原節子と笠智衆の親子が、斜め向かい側の脇正面の席に坐る三宅邦子と笑顔の会釈を交わすまでの映像が「序」に当たり、その後、(14-1)から(23-2)まで、すなわち原が三宅邦子と笠智衆の顔を交互に窺うように見比べ、父親はあの女の人と再婚するに違いないと思い込み、不安や怒り、嫉妬、敵対心、怨念、諦め、絶望……と、男に裏切られた女の「負」の感情のどん底に落ち込み、がっくりと頭を垂れ、うつむいているところまでが、「破」に当たり、そのあと、やや面を上げ何かを決意したように唇をキッと閉め、強い眼差しで下を見据えている最後の、時間にして約5秒程度の一番短い映像が「急」に当たると言っていいだろう。
さてそれでは、一つひとつのショットを通して原節子の内面意識や感情がいかに表出され、結果として彼女自身の決断として、「親殺し」の意志がいかに発現してくるか、画面の流れに沿って見ていくことにしたい。
ちなみに、それぞれの画像の下にキャプションをつけてあるが、カギ括弧の中のセリフは、原節子の心中に生起している思いや感情を、筆者が読み取って記したものである。また(20-1)と(20-2)の間の笑尉の能面は、このシーンにおけるスクリーンに映し出されたものではなく、原節子には、隣に坐る父親の顔がこのように見えているということを理解してもらうため、筆者が挿入したものである。
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