読者を信頼して、書店の棚に並べるということ
2017年04月07日
昨年(2016年)6月に上梓させていただいた『書店と民主主義――言論のアリーナのために』(人文書院)で、テーマの中心のひとつとなったのが、いわゆる「ヘイト本」である。
その光景に気づき、不快感を覚えながら「なぜこのような本が多くつくられ、売られるのか」と首を傾げていた頃、『NOヘイト! 出版の製造者責任を考える』(ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会編、ころから、2014年10月)の刊行を知る。書き手、作り手が集まり、「ヘイト本」を量産してしまっている出版業界を、自己反省も含めて糾弾する本であった。
『NOヘイト!』を応援すべく、発売されてすぐに書評を書きブックフェアを展開すると、「お前は、日本を侵略しようとしている中国や韓国の肩を持つのか!?」という抗議電話がいくつかあり、「ヘイト本」が実際に売れている現実を、改めて認識させられた。そうした抗議電話に対して、もちろんぼくは、近隣諸国に対する誹謗中傷、在日外国人への差別的発言には反対である旨はっきりと申し上げたが、それぞれの主張は平行線をたどるだけであった。
反ヘイトスピーチ本のフェアを開いて(上)――「あなたは、韓国や中国が日本を侵略しようとしていることを知らないのか!?」(WEBRONZA)
反ヘイトスピーチ本のフェアを開いて(下)――「本当に、あなたは東亜日報に、あんなことを言ったのか?」(WEBRONZA)
実は、平行線をたどっている議論が、もう一つある。それは、「ヘイト本」を店頭に置くか置かないかという問題である。
ころからの木瀬貴吉氏にはじめてお会いした2014年12月14日のロフトプラスワンウエストでのイベント「日本の出版業界どないやねん!?物書きと出版社出て来いや!スペシャル」で、ぼくは書店の立場としては「ヘイト本」をすべて書棚から外すという選択はしない、自分も相手と同じ「排除の原理」の上に立ちたくないからだ、と表明した。木瀬さんは、「アウェイ」の場でのぼくの意見表明そのものは評価してくれたが、彼を含めた登壇者は、その内容には首肯しなかったと思う(『書店と民主主義』P32 ~)。
ぼくもシンポジストの一人として参加した、昨年(2016年)7月30日に開催されたシンポジウム「『ヘイト本』と表現の自由」(出版労連主催)は、2014年7月、「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会(BLAR=BookLovers Against Racism)」が同じ会場で「『嫌中嫌韓』本とヘイトスピーチ」という学習会(その内容を軸として『NOヘイト!』が刊行された)が開催されて2年を経て、日本社会と出版業界がどう変化し、あるいはどう変化しなかったかを考えるシンポジウムであった。
シンポジウムの模様は、人文書院の連載コラム「本屋とコンピュータ」で報告したのでそちらを参照していただきたい。概括すれば、4人のシンポジストも参加したオーディエンスも「ヘイトスピーチ」を許さず、「ヘイト本」の内容を認めないという点では一致している。だが、「ヘイト本」の存在そのものも許すかどうか、書店に並べてそうした意見を持つ人びとがいるということを公にするのか徹底的に排除するのか、会場の意見は、はっきりと二分された。落とし所は見つからなかった……。
『図書新聞』2016年8月13日号に、元SEALDsの牛田悦正氏が、『書店と民主主義』の書評を寄せ、“「闘技場」は、自由と民主主義そのものを根底から基礎づけるといっても過言でない、日本国憲法第二一条「言論の自由」「出版の自由」という崇高な理念が、ただの文面ではなく、現実に、具体的に出現している場なのだ”と、書店を「闘技場」とするぼくの見立てに共感、図書館や古書店との連帯の必要性についても、賛意を表してくれている。
彼のように若く、活力と行動力のある人が、拙著の考えを理解し評価してくれたことは、大変嬉しいことだった。だが、そんな牛田氏も、「ヘイト本」も排除しない、というぼくの姿勢には、反論する。
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