対決してこそ、民主主義は鍛えられる
2017年04月11日
「ヘイト本」の存在を許すのか、排除するのか――読者を信頼して、書店の棚に並べるということ
『あたらしい憲法草案のはなし』(自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合著、太郎次郎社エディタス、2016年6月)は、日本国憲法公布(1946年)の1年後に中学1年生むけに文部省がつくった『あたらしい憲法のはなし』を擬して、2012年に発表された自由民主党の憲法改正草案を解説したものである。
だが、少し読み始めると、この本の意図がそれとは全く逆の側にあることがわかる。
例えば、自民党草案の前文の主語が現行憲法の「日本国民」から「日本国」に変わっていることを、“これは国民を必要以上につけあがらせてはいけない、という考えによるものです。主語が変わったことで、国の中心が「国民」ではなく「国」そのものであることがはっきりします”と説明、それゆえ、“(新設される)国防軍がまもるのは、あくまでも「国」であって「国民」ではありません。軍隊のやくわりには、外からの敵と戦うだけではなく、国内の争いを武力でしずめることもふくまれているからです。国内の争いというのは、政府に反対する人びとの暴動や反乱、テロなどのことです”と、軍隊による秩序安寧を、当然のこととする。
更に、“人権を制限すれば、国を危機におとしいれる人はへり、国の仕事は早くすすみますので、国民はむしろくらしやすくなるでしょう”。
すなわち、自由民主党の憲法改正草案は、第9条の平和原則だけではなく、国民主権、基本的人権の尊重という日本国憲法の3原則を、ことごとく否定しているのである。
当然、「民のくせに国のリーダーに命令するなど、おこがましい」と、「憲法で国家権力をしばる。憲法は国民から権力に向けられた命令である」という、現在すべての国の憲法に共通した原則である「立憲主義」も、否定する。その結果、思想信条の自由は制限され、出版活動もままならなくなることが予見される。
この本は、最初に予告されたとおり、「できるだけ草案をつくった人びとの気持ちによりそ」って書かれている。だから本文中、「憲法改正草案」に否定的な文言は、一度も現れない。それでも、否そうであるからこそ尚更、自由民主党の憲法改正草案がいかに憲法の理念を踏みにじり、われわれの社会を恐ろしい方向に導いていくものであるかが、炙(あぶ)りだされる。
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