アカデミー賞やカンヌ映画祭でも……深刻さが評価されるのはなぜ?
2017年04月18日
どうも最近の海外の映画賞では、アカデミー賞からカンヌやベネチアなどの国際映画祭まで、「深刻さ」が流行っているようだ。そんなことを思ったのは、4月7日付「朝日新聞」で『ムーンライト』のクロスレビューが掲載されて、外部筆者3人と記者に絶賛されていたから。『ムーンライト』は今年のアカデミー賞で作品賞、脚色賞、助演男優賞を取った作品で、監督は黒人のバリー・ジェンキンス。
もちろん、それなりの作品ではある。黒人でゲイの男の人生を少年時代、高校生、30代に分けて描く。
前半から中盤までは手持ちのカメラの長回しを多用し、気が弱くてみんなに馬鹿にされがちな少年や高校生の心の中を写すようだ。
マイアミの黒人だけが暮らす貧困地区で、主人公はゲイだと差別され、大人たちはドラッグに浸かっている。永遠に抜け出せない悪循環にはまった絶望的な世界を、優しく包み込むように描く。
ちょっとガス・ヴァン・サントを思わせる繊細な映像だが、彼に比べたら計算しつくしたテクニックが前に出過ぎている。3つの章に分けて、その始まりに黒みを入れたり、主人公が寂しいシーンにはクラシック音楽に似た情緒的な音楽を入れたり。第3章で旧友に会いに行くシーンにかかる『トーク・トゥ・ハー』で使われた「ククルクク・パロマ」はいくら何でも甘すぎだろう。
3つの時代の主人公を別々の俳優、それもあまり似ていない俳優を使っているのもうまい。よく見ていないと実にわかりにくいが、細かく見るとその表情や話し方、そして何より考え方に共通点が見える仕組みになっている。
クロスレビューで、アメリカ文化史家の生井英考氏は「私には、この作品がオバマ政権の文化的遺産に思えます」「最後まで穏健さと自制心をつらぬいたオバマの8年間で米国の大衆文化の人種感覚が洗練されたことを感じました。2016~17年の米国を象徴する映画だと思います」と述べる。
これを読むと、この映画の限界がよくわかる。逆に言えば、今のアメリカの知的な観客に評価されるために作られたような映画だから。黒人、ドラッグ、ゲイという深刻さの極みを、抑制を持って描くことが大統領のスピリットそのものだったとは。
映画監督の河瀨直美氏は「そこには普通の映画ならメインストーリーになる劇的要素があるはずなのにことごとく省略している」「私自身、デビュー作から説明しない映画を撮ってきました」。確かに彼女は、奈良や奄美大島といった周縁を舞台に女性を中心にしてマイノリティの問題や神話的世界を象徴的手法とドキュメンタリータッチで描き、カンヌを始めとして高い評価を得てきた。「評価されやすい深刻さ」「いささかあざといテクニック」という点で、河瀨映画は『ムーンライト』と似ているかもしれない。
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