ジョディ・アーチャー マシュー・ジョッカーズ 著 川添節子 訳 西内啓 解説
2017年04月28日
ベストセラーのランキングを見て、どうして、あんな小説が売れるんだ? と、ざらついた気分になることがよくある。そんな「偏見持ち」が読んでも、ベストセラー小説のベストセラーたる所以を精緻に分析した本書には、テクノロジーはここまで来たのかと驚くばかりだった。
『ベストセラーコード――「売れる文章」を見きわめる驚異のアルゴリズム』(ジョディ・アーチャー マシュー・ジョッカーズ 著 川添節子 訳 西内啓 解説 日経BP社)
もっとも、本書はベストセラーを解析したのであって、その「コード」を備えた作品が必ずしもベストセラーになるとは限らないと思う。そのプロセスはテキストだけで決まらないからだ。
作家の固有名、実績、プロモーションの巧拙、昨今であればSNSの拡散の仕方、行列しているラーメン屋でますます行列が延びるように、売れるから売れるという現象もある。そこに「時代の空気」とかいう何とも曖昧模糊な要因も加わる。
だが、そういう留保付きで読んでも、ここでの「黄金の法則」は、腑に落ちる。『ダ・ヴィンチ・コード』、や『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』、「ハリー・ポッター」シリーズ等々、有名作品も数々登場しつつ(村上春樹もちょっとだけ出てきます)、分析される特徴の一部を紹介すると――。
メインの「トピック」は全体の約3分の1ほどの長さを占め、残りの3分の2は、それとは別のいくつかのテーマからなる(売れない小説は、「トピック」を詰め込みすぎ)。「勝ち組」のトピックは現実味のあるものが多い(「結婚」「死」「税金」……)。「負け組」のトピックも多々あるが、その代表は「セックス」「ドラッグ」「ロックンロール」。「政財界における駆け引き」「パーティー」も負け組だ。なお、「猫」よりは「犬」がいいとか。また、事故や訴訟、あるいは、子どもと銃、信仰とセックスなど「衝突」がウケるというが、「親密な人間関係」「心の交流」はよく読まれるテーマだ。小説の舞台も「ごく普通の家」がよく、砂漠やジャングルではダメ。
作品全編を通しての登場人物の感情の起伏、つまり喜怒哀楽だったり、ポジティブ/ネガティブな感情のアップダウンはハッピーエンドであろうとなかろうと、7つのパターンに分けられる。
さらに文体をみると、縮約形がよく使われ(cannot より can't、I would より I'd)、疑問符は多いが(登場人物はよく質問をする)、感嘆詞は少ない。形容詞の頻度は少なく、ピリオドは多い(要は、短く簡潔な文章が望ましい)。主人公は必ず何かを必要としていて、 need や want などの能動的な動詞が、受動的な動詞(accept、dislike……)を上回る。
なお、主人公の会話のシーンではシンプルに said が使われ、まわりくどい言い回しは避けられている。この点、村上春樹の最新作『騎士団長殺し』(新潮社)をざっと見直してみたら、会話では「言った」(質問する場合は「尋ねた」)ばかりだった。こんなこと、ハルキストは百も承知のことだろうが、この本の英訳は said が多用されるだろう(村上春樹、さすがですね)。
その他、主人公の特徴やタイトルなど、それはそうだろうな、と想像の範囲内の事項から意外なことまで、ベストセラーと非ベストセラーの特徴が丸裸である。ちなみにベストセラーの法則を見事なまでに備えた「完璧」な作品も挙げられているが、それは本書で確認してほしい(翻訳が出ています)。
しかし、こんなことは英文だから可能なのであって、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット、漢数字、洋数字……と単語だけでも複雑な日本語の小説では解析できまいとタカをくくりつつ読んでいたのだが、巻末の解説によれば、英文ほどの精度ではないが、今や日本語でも、ある程度分析できる段階に来ているという。
だとすれば、本書の興味深いデータもさることながら、そこから先、遠からぬ将来に日本でも予想されうる事態に関心が向く。
この「法則」通りに小説を書こうという物書きが続出するだろう。編集者もこの「法則」に沿って、作家に書いてもらい、修正を依頼することになるのも自然だ(アメリカではもう現実になっているかもしれない)。
刊行前の作品でも、80%の確率で売れるか売れないか予測できるそうだから、出版社の企画会議は実にドライになる。原稿を解析して、ベストセラーの“ご託宣”が出たら、刷り部数は大幅増、プロモーションの仕方も宣伝費も合わせて調整すればよい。「アルゴリズム様」のおかげで何もかも即断即決。ただし、真逆の予測が出ようでもしたら書籍化どころか原稿はボツ(今でもそういう傾向はあるが、それがますます加速して、「判断」の根拠がクリアになるということだ)。
作家も納得、編集者のストレスも解消、大量の返品もなくなり、文芸部門だけは出版不況から脱するかもしれない。もちろん、AIの進化で不要になると取り沙汰される職業よろしく、データを踏まえず、経験やカンと根拠のない持論で四の五の言う編集者や営業担当者はお払い箱に……。
こういう世界は(少なくとも文芸界、出版業界にとって)ユートピアなのかディストピアなのか。いずれにしても、この流れは、好むと好まざるとにかかわらず、おそらく止められない。
そもそも、その新世界に書かれる小説はどんな作風になるのか? コードに沿った画一的な小説ばかりになるのか、文学の死だ、と嘆息するしかないのか。だが、数千台のコンピューターで分析してきた筆者たちは、フィクションの「真実」を再確認してくれている。
「(小説には)ごく少数の物語しかなくて、それがときに大胆な演出を加えられながら何度も繰り返し語られている、という昔から言われていることのほうが真実なのではないか……読者は『新しいもの』に驚かされるのだろうが、モデル(=コンピューター、評者注)はだまされない」
言われてみれば、好きこのんでだまされ、驚かされ続けてきたのが小説読者の歴史だ(当たり前だが)。「コード」を活用しようがしまいが、だましたい、驚かせたい作家の心性さえ不変であれば、「少数の物語」は変奏され、読者の感情は揺さぶられていく。だとすれば、何も案ずることはないのかもしれない(その時、「コード」自体が更新されていくに違いない)。そうした世界で、「売れないけど(個人的に)面白い小説」が存在するのかどうか、そこだけが気がかりだが、ともあれ、どんな時代が来るのか、醒めた目で待とう。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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