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[2]『服従』の実名主義が生む<本当らしさ>

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

『服従』では、フランス国内の不穏な政情がリアルに描かれる『服従』では、フランス国内の不穏な政情がリアルに描かれる=2015年11月、同時多発テロ後のパリ

 今回はまず、『服従』の物語の要約から始めよう(随時、テキストも引用、コメントする。なお引用は前記2015年刊行の単行本による)。

フランス大統領選に近づく不穏な政治的騒擾の影

――主人公=語り手の「ぼく」(フランソワ)は、パリ第三大学で文学を教えている44歳の大学教授で、前述のように、フランス19世紀末の厭世的なデカダン作家、ジョリス=カルル・ユイスマンスについての論文で博士号を取得したエリートである。

 しかし、いかにもウエルベックの主人公らしく、「ぼく」はもはや大学での教育、研究、栄達などへの意欲をすっかり失い、学生たちにもうんざりしている疲れきった中年男だ。短いユイスマンス論は定期的に書いてはいるが、10年以上前に博士論文を執筆したときが人生における頂点だったと述懐し、かつての放縦(ほうじゅう)な恋愛生活――毎年のように女子学生と性的関係を結んでいた――も今や終わりかけている。もちろん政治には無関心である(人生の終わりを待ちながら、「ぼく」は、そもそも人生には意義が必要なのだろうか、あらゆる動物や人類の圧倒的多数はそんな意義などこれっぽっちも必要とせずに生きている、生きているから生きている、彼らが死ぬのは死ぬからであって、彼らにとってそこで分析は終わる、などと、その虚無的人生観をいくぶん偽悪的に独白する<43~44頁>)。

 だが大統領選が近づくと、安逸な生活を送っていた「ぼく」の身辺にも、徐々に不穏な政治的騒擾(そうじょう)の影がしのび寄ってくる。ウエルベックはその様相を、「ぼく」が見聞きする真偽不明のメディア情報として、擬似ドキュメンタリー的筆致もまじえて、サスペンスフルに記す。

 たとえば――「モンフェルメイユ(パリ北東部の郊外の町)では極右の活動家とアフリカ系の若者グループの間で抗争が起こっており、ただし両方とも政治的な所属は何も明らかにしていなかった。一週間前に(……)モスクが襲撃されてから、この街ではいくつかの事件が散発的に起こっていた。極右のウェブサイトが翌日報道したところでは、抗争は暴力的で、複数の死者が出たということだったが、内務省はすぐさまこの情報を否定した。毎度のように、国民戦線とイスラム同胞党〔架空〕の党首はそれぞれ記者会見をし、この犯罪に自分たちは何の関係もないと熱心に主張した」(49~50頁)。

 このように「ぼく」は、メディアの伝える真偽のあいまいな情報を介して、フランスの政情不安を読者に伝える。現代の情報化社会のあり方を、実にうまくとらえる書き方だが、のちに見るように『服従』の勘所のひとつは、<メディア/媒介するもの>をどう描くかにある。

イスラム政党が国民戦線を破り、政権を掌握

 さて選挙戦では、反移民・反イスラム・反EUを掲げる右翼の国民戦線党首、マリーヌ・ルペンが、社会党現職のオランド大統領をしのぐ勢いで支持を広げる。そこへモアメド・ベン・アッべス率いる穏健なイスラム政党、前記イスラム同胞党が登場し、EU離脱を訴える国民戦線に対抗し、ヨーロッパを地中海地域/アフリカ北部・北西部の諸国(モロッコ、チュニジア、アルジェリアなど)まで拡張し、イスラム・ヨーロッパ帝国を再建することを標榜し、それが停滞するフランス経済を活性化するだろうと多くの国民から期待され、急速に党勢を拡大する。

 そしてアッベス/イスラム同胞党は、なんと社会党から保守・中間派までを加えた連立政権を組み、決選投票でついにルペン/国民戦線を破り、政権を掌握する。

 そしてイスラム政権下で、犯罪率は大幅に減少し、アラブ諸国のオイルマネーの流入によって財政も一気に好転するなか、フランス国民はシャリーア(イスラム法)を規範とし、家父長制を徹底化する前近代的(中世的)なライフスタイルに、さしたる不満もなく馴染んでいく(経済体制は、小規模職人集団のネットワークによる、富と生産手段の平等配分を目指す分配主義のシステムが導入される<194~195頁>)。

西欧的ライフスタイルとの決別とイスラム教への改宗

 パリ=ソルボンヌ・イスラム大学と改名された大学をいったんは辞めた「ぼく」は、しばらく逡巡したのち、イスラム教に改宗し、高給で新大学に教授として雇用される。「ぼく」が思うに、これまでの大学における文学の講義や研究などは、大半の学生にとって無用のものだったし、役得(?)であった女子学生との恋愛/セックスの楽しみを失うのは残念だが、自分の恋愛生活(西欧風自由恋愛)も終わりつつあるのだから、見合い結婚による一夫多妻は願ったり叶ったりではないか(愛し合っている男女でも一緒に住めば短い期間に性的欲望は消える、などと独白しつつ<108頁>……)。

 つまり「ぼく」は、西欧的ライフスタイルとの決別をことほぐかのように、イスラム教にみずからを馴致(じゅんち)していくのだ(「イスラム」というアラビア語は、<絶対的服従・帰依>の意)。こうして『服従』は、アイロニカルだがハッピーエンディングめいた結末を迎える(もちろんこれは、ウエルベック本人がイスラム教国家をユートピアとして考えている、ということではまったくない)。――以上が『服従』の物語の要約である。

イスラム系新大統領のカリスマ的求心力

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