加藤直樹(かとう・なおき) ノンフィクション作家
1967年、東京生まれ。出版社勤務を経てフリーランスに。著書に『九月、東京の路上で――1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)、『NOヘイト!――出版の製造者責任を考える』、『さらば、ヘイト本!――嫌韓反中本ブームの裏側』(ともに共著、ころから)、『戦争思想2015』(共著、河出書房新社)、最新刊に『謀叛の児――宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)
内閣府ホームページの報告書“削除”問題をめぐって
4月19日、朝日新聞の朝刊に「『朝鮮人虐殺』に苦情、削除/災害教訓の報告書/内閣府HP」という見出しの記事が掲載された。それによれば、内閣府のHPで閲覧できる関東大震災の報告書の中の朝鮮人虐殺についての記述に対して、「なぜこんな内容が載っているんだ」という“苦情”が多かったため、同報告書を含む全ての災害教訓報告書についてHPで閲覧できないようにしたという。
実際、少なくともその1週間以上前から、朝鮮人虐殺の記述を含む報告書が閲覧できなくなっていることが、ツイッターなどで話題に上っていた。
「災害教訓の継承に関する専門調査会報告」は、内閣府中央防災会議が専門家に依頼して江戸時代以降の災害の教訓をまとめたものだ。寛文近江・若狭地震(1662年)から雲仙普賢岳の噴火(1990―1995年)まで全部で25編ある。朝鮮人虐殺の記述があるのは、関東大震災直後の政府や社会の対応をまとめた「1923関東大震災【第2編】」である。
報道を受けて、この問題は国会でも取り上げられた。内閣府には多くの抗議の声が届いたようだ。これに対して内閣府は報道内容を否定し、意図的な削除ではなくリニューアルに伴うリンク切れだと説明。そして、記事が出た翌日には、全ての報告書の閲覧が復活した。
真相は分からない。確かなことは、朝日が詳細なディティールを含む報道を行い、内閣府がそれを否定したということだけだ。だが、報道を否定しつつも歯切れの悪い態度に終始した内閣府に対し、朝日の方はその後も「複数の担当者から取材した」と強調するなど、揺るがなかった。報道内容に自信をもっていることが分かる。
同月29日には東京新聞もこの疑惑を取り上げている。そこでは、私も知る出版社「ころから」の木瀬貴吉社長が、朝日の報道の前日に内閣府に問い合わせの電話をした際、担当者が意図的な“削除”を明言したと証言している。
この“削除”を知ったとき、私は愕然とした。朝鮮人虐殺に言及した「1923関東大震災【第2編】」が閲覧できなくなれば大変なことになると考えたからだ。その危機感を理解していただくには、この数年、インターネット上を中心に広がる「朝鮮人虐殺否定論」についてまず説明しなければならない。
「嫌韓都市・大阪」と東京のジェノサイド――『関東大震災朝鮮人虐殺の記録』(西崎雅夫編著)の重さ(上)(伊東順子/WEBRONZA)
子供の残虐行為目撃証言は改ざんされた――『関東大震災朝鮮人虐殺の記録』(西崎雅夫編著)の重さ(中)(伊東順子/WEBRONZA)
「虐殺を告発しても人の心は変わらない」――『関東大震災朝鮮人虐殺の記録』(西崎雅夫編著)の重さ(下)(伊東順子/WEBRONZA)
2009年、ノンフィクション作家の工藤美代子氏が『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版)という本を出版した。14年には、工藤氏の夫である加藤康男氏が、同じ本を『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(ワック)とタイトルを変えて自分名義で出版している。工藤夫妻の主張は、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「暴動を起こしている」といった事実無根の流言によって多くの朝鮮人が虐殺されたというこれまでの歴史認識は誤りだというものだ。井戸への投毒や暴動は事実であり、「虐殺」と呼ばれてきたものはそれに対する日本人の正当な反撃にすぎないというのである。
ところがその根拠とされるのは、震災直後の混乱の中で氾濫した流言記事と、証言の曲解や恣意的切り貼り、あるいは工藤氏が父から聞いたという検証不可能な“証言”だけだ。もちろん、歴史学の世界ではこんな主張は全く相手にされていない。
ところが、この主張はネットでは大いに歓迎され、拡散されていった。こうして今や、「朝鮮人虐殺否定論」が溢れかえっている状況だ。先述のように、震災直後には混乱の中で「朝鮮人暴動」の流言をそのまま事実として報道する新聞記事が氾濫したのだが、否定論者たちはそうした記事の画像を図書館で探してきては、ネット上に掲示して朝鮮人暴動の証拠と宣伝している。
さらに深刻なのは、
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