三砂ちづる 著
2017年05月25日
これは「家で看取りたい人、看取られたい人、必携」である。
『死にゆく人のかたわらで――ガンの夫を家で看取った二年二カ月』(三砂ちづる 著 幻冬舎)
今では通常、人は病院で死ぬ。それがあたりまえだ。人は3代で、身体に植え付けられた知恵を喪失する。だからもう、人が死ぬとはどういうことかを、医者に頼る以外にほぼ誰も知らない。
そもそも家で看取るということは、具体的にどうすることなのだろう、というところからしてもうわからない。著者はそれを、痒い所に手が届くように丹念に書きこんでいく。
「人の介護をする、ということは、要するに、食べることと出すことと寝ることに気持ちを寄せる、ということだ。生まれたばかりの赤ん坊を世話することと変わらない。……老いた人、病んだ人も同じである。食べることをどうするか、おしっこ、ウンチをどうするか、どうやったら安心してやすらかに眠りについてもらえるか。それだけが重要な課題なのである」
その中でも「出すこと」が本当に厄介である。著者によれば、しもの世話は「介護」の最も重点的なことがらなのである。
「『自分は介護を経験した』と言いたいときは、やっぱり、“しもの世話”はしているものだ。“しもの世話”をしないままで、赤ん坊の世話をした、とか老親の介護をした、とか、やはり、言ってはいけないと思う。介護とは、食べること、出すこと、寝ることの安寧確保以外に、なにもないからだ」
だからたとえば、「どっしりしたポータブルトイレ」は絶対の必需品になる。「家具調で、一見すると普通の椅子に見えて、安定していて、座りやすくて、使いやすいポータブルトイレは、我々の最後の頼みの綱だった」
こういうところは、病気する前と後では、私の感じ方はまったく違う。「我々の最後の頼みの綱」という言葉が胸に迫る。
著者の夫君は、中咽頭ガンが頸部リンパ節に転移し、いよいよ末期だった。食事がとれなくなって、900ミリリットルの高カロリー輸液で命をつないでいた。
このほか、酸素吸入器(いまはなんとボンベは使わない)や、いまわの際の痛み止めの話などが、こと細かに述べられている。
そうして夫君は、著者の手の中で息を引き取った。
「わたしはこのとき、少しも悲しい、という思いがよぎらなかった。涙どころではなかった。晴れやかで立派な最期を目の前で見せられて、いろんなことがあったけど、この人への敬意と愛情で文字どおり胸がいっぱいだった。ありがとう、という言葉しか出てこない。人間って、よくできている」
しかし、たとえば容態急変ということになれば、自宅ではどういうふうに対処するのだろう。
著者が「容態急変」という言葉で、すぐに頭に浮かんでくるのは、やはり突然倒れるのと、大便が合わさっている状況だ。このへんは、家で看取るということの、最も厳しい局面だが、著者はそこを正直に書く。
「わたしが脱衣場にいるとき、湯船に入った本人が、ずいぶんふらつく、と言う。トイレに行きたいと言って、湯船から立上がると、ああ、ダメだ、と言って風呂場に便失禁する。本人は風呂場の隣にあるトイレに行こうとして脱衣場で便をもらしながら歩き、トイレの前の廊下で倒れた。わたしがそばにいたので、なんとか頭から倒れることはさけられたが、相手は七〇キロ、こちらは五〇キロ程度なので支えられない。そのままトイレの前で真っ青になり、便失禁は続いた」
家で看取るというのは、こういうことだ。そして著者の場合には、これ以上「怖い」体験はなかったという。一方でこれを体験する代わりに、もう一方で、愛する伴侶が、自分の腕の中で死んでゆくのを、看取ることができるというわけだ。
もう一つ、自宅で死にたいが、その場合に「いくらかかるか」という金銭的な問題もある。これはたぶん、状況により千差万別だろう。これも著者の場合には、ということで正確に出している。
「医療保険と介護保険には自己負担限度額があるから、両方フルに使って、いちばんたくさんお金を払った月でも、我が家ではあわせて八万円くらいだったと思う」
このへんは、代替療法や食事療法の拒否とあわせて読むと面白い。進行しているガンだと、藁をも摑みたくなっていろんなことをやりたくなるものだが、著者の夫は徹底していて、治療は保険の範囲に押さえている。このへんは著者の言うように、怪しい治療は断固拒否するという、団塊の世代の面目躍如たるものかもしれない。
第6章で「痛み」が、独立して取り上げられている。ここは著者の慧眼が光るところだ。ふつう「痛み」はガン治療の中心的テーマとして取り上げられ、そしてそれはおおむね制圧していると捉えられている。
しかし、そうではないものもある。
「夜中に何度も起き上がって、じっとしていられないこともあった。頭が痛い、服を脱ぎたい、気分が悪い、眠れない、じっとしていられない。こういう苦しみは、自宅にいたので、なんとも言えないままに、表現されていた。そして、それらの身の置き所のなさは、多くの場合、『痛い』という言葉に収斂されていったように思う。そうすると、なにか飲む薬があり、介護するわたしも提供する薬がある。『痛み』は、彼の総合的な苦しみの表現方法だったのではないか」
ガンの痛みとはまったく違うものだけど、僕の右半身はつま先から肩まで、ときによって猛烈な不快感が襲ってくる。そしてそれは、とりあえず「痛み」としてしか表現できないものなのだ。
「わたしは間違っているかもしれない。でも、こういう身の置き所のなさは、たとえば、病院や施設にいたら、いったいどう対応されるのだろう。『ガンの痛み』、とは、言われているよりも奥の深い表現なのではないか、まわりはそれをどう受け止められるのか。むずかしいことだ、と思うのである」
これは病院や施設では無理なことだ。かりに事細かに患者に聞いてみても、おそらくどうにもならないことだ。でもそこを、分かってくれる人がいるのといないのとでは、患者の気持ちはまったく違う。
それにしても死にゆく人を家で看取るというのは、やはり厳しいものがある。その厳しさを、いくぶんかでも和らげてくれる人がある。
「わたしがそういうことができたのは、家から徒歩五分のところに訪問診療の草分けのようなカリスマ医師、新田國夫先生がいたからだ、ということも、わかってきた」
結局、訪問医師と訪問看護師の存在が、家で看取るのを可能にするかどうかを決定づける。医者と看護師が、決定的なキーパーソンになるのだ。
「新田クリニックの三上師長、訪問看護師の長田さんをはじめとする新田クリニックの皆様に心から感謝している。この本を出すにあたり、新田先生は、『実名を出してもらっていいし、内容の確認は、いっさいしなくていいです』と言ってくださった。そんな方だからこそ、私たち夫婦は安心して、最後のときまで家にいることができたのだ。新田先生にはどんなに感謝しても足りない」
僕がお世話になっているケア・マネージャーの話では、もう病院で看取りをするのは病室が満杯で、できないという話だ。そのとき厚労省の百出する議論よりも、たとえばこの優れた実例が一つあるだけで、どれほど安心なことか。
「私は自分の本が役に立つように、とは、いままであまり思ったことがない。しかしこの本だけは誰かの役に立ってほしい。自宅で死にたい、自宅で家族を看取りたい、という人への励ましになってほしい」
大丈夫、もう充分励ましになっているし、力づけにもなっている。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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