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原っぱで遊ぶ子供たち拡大1973年、神奈川県藤沢市で。こういう光景は、特に大きな街ではすっかり見られなくなった
 すでに旧聞に属するが、今年も「子どもの日」はつつがなく暮れた。この時期になると、子どもの権利に関する関心が高まる。それは重要なことだと思う。私は5月5~6日の各紙に目を通してみた。子どもの権利を論じた記事もあったが、重要な権利が忘れられているように思った。

放置された子どもの「権利」

 子どもの権利の保障は、戦後進んだ。日本では、比較的早く「児童憲章」が制定された(1951年)。国連においても「国連子どもの権利宣言(児童の権利に関する宣言)」が出され(1959年)、その30年後、国連総会で「子どもの権利条約」が採択されている(1989年、日本の批准は1994年)。

 いずれも歴史的な文書である。そして、子どもの権利の伸長も実際に見られる。けれども、同条約のなかで、いわばほとんど手つかずのままに放置された権利がある。それは、子どもの「遊ぶ権利」である。

 子どもの権利条約では、それは、「その年齢に適した遊び……を行〔う〕……権利」と条文化されている(第31条)。この関連で重要なのは、前記「児童憲章」である。児童憲章は、「すべての児童は、よい遊び場……を用意され〔る〕」、と宣言していた(九)。その前文は、「児童は……よい環境の中で育てられる」と記しているが、この項で、「よい環境」が「よい遊び場」として具体化されている。

 子どもの権利条約に先立って出された国連の「子どもの権利宣言」では、「すべての子どもは、よい遊び場と文化財を用意され、わるい環境から守られる」とうたわれているが、それに10年も先立つ時期に遊びの問題にまで言及できたのは(アメリカにそのさきがけとなった憲章はあるが)先駆的である、と私は判断する。

 ただし、児童憲章では遊びの権利性に対する自覚は弱いように思われる。ここでは、それを「権利」ととらえる文言がない。だが他面では、それは「遊び場」に言及しており、ひいては「遊び場への権利」を示唆していると解することもできる。

遊び場が論じられていない

 そもそも子どもにとって、「遊び」はその成長・発達のために不可欠な営みである。特に幼い子どもにとっては、自立のためにも不可欠である(いずれも後述)。だからこそ、子どもの権利条約も児童憲章も、「遊び」に関する条文を置いたのである。

 けれども一体、遊びの権利はこれまでどれだけ真剣に考慮されただろうか。私は大きな疑問を呈せざるをえない。なるほど遊びは、教育学者や学校関係者等によって論じられてきた。だが、遊び場への着目は非常に弱い。遊びを論ずるとき、遊び場への着目を欠いては十全な論究はできないにもかかわらず、それは十分に論じられてこなかった。

 残念だが、遊びはまるで遊び場と無関係になしうる抽象的な営みであるかのようである。子どもにとっての良好な遊び場が大規模に奪われた事実があるのに、その事実に目が向かっていない。あるいは、いかんともし難いほどに奪われただけに、もはや遊び場を論ずる必要はないとでもいうのであろうか。

高度成長と過剰モータリゼーションの罪悪

 かつて、子どもの遊び場はいたるところにあった。子どもの遊び・遊び場を長らく研究しかつその意匠まで手がけてきた建築家・仙田満氏によれば、高度成長期以前の1955年と1990年とを比べたとき、子どもの遊び場は全国平均で20分の1に減少し、大都市圏では実に40分の1にまで激減したという(仙田満『子どもとあそび――環境建築家の眼』岩波新書、174頁)。

 変化の大きな要因――高度経済成長と、中でも過剰なモータリゼーション――からすれば、遊び場がその後さらに減ったとしても、すでに1990年頃の段階で限界に達していたように、私には思われる。いずれにせよ1955年頃と比べてみたとき、今日の子どもがいかに社会的な冷遇を受けているかは明らかである。いや、子どもたちが受けているのは虐待だと言ってもよい。

 だがこれまでの社会は、この事態をどれだけ深刻に考えてきただろうか。5月5日~6日の各紙の論調を見るまでもなく、ほとんどの大人はそれを自覚せずにきたのではなかったか。この数十年の劇的ともいえる遊び場の減少が子どもにとってもつ意味が、満足に問われなかったのは、一体どういうことなのだろう。

子どもの遊び場とはどこか?

 子どもの遊びと遊び場の問題を考えるにあたって、あらかじめ遊び場の型を、仙田氏の諸説を参考にしつつ分類すれば、次のとおりである(以下括弧内は仙田氏の用語である:仙田、前掲『子どもとあそび』18~20頁)。

 (1)自然空間(自然スペース)、(2)開放空間(オープンスペース)、(3)往来空間(道)、(4)無秩序空間(アナーキースペース)、(5)隠れ家空間(アジトスペース)、(6)遊具空間(遊具スペース)――これらの意味については、後述する。

 以上は空間の利用形態もしくは機能にもとづく分類だが、社会的な観点から見れば、子どもの遊び場となりうるのは、(ア)公園・児童公園、(イ)校庭、(ウ)道、(エ)空き地・原っぱ、などである(厳密には(1)に対応する川、池、森なども考慮に入れる必要があるが、ここでは省略する)。この数十年、全般的に見て(ア)公園・児童公園や(イ)校庭などへの社会の配慮は増したが、(エ)空き地・原っぱは激減し、(ウ)道は完全にと言ってよいほど遊び場として不適なものとなった。

 (ア)公園・児童公園の整備は進んだ(例えば少々古いが公園全般に関する国交省統計)。今、かなり金のかかった各種遊具が設置された公園もめずらしくない。子どもがそれらに関心を示すのは確かだが、公園は今あまりにも管理されすぎており、子どもがそこで、遊びを通して自らの創造性や主体性を発揮させる可能性は、むしろ減少してしまった。しかも後述するように、公園までの安全が考慮されていない。(イ)校庭も同じである。一面では事故を防ぐ等の配慮からであろうが、学校側の管理が及びすぎている。そして低学年の子どもにとっては、学校さえ安全に通える場所ではないことがしばしばである。

道は遊び場だった――道の社会的機能

 一方、失われた子どもの遊び場として第一に問題にされるべきは、(3)=(ウ)道である。今日、道は遊び場として最も不適と見なされている場所の一つである。ほとんどの親はそれを疑ってもみないであろう。学校側では、むしろ積極的にそのように子どもを「指導」するであろう。

 これまでの歴史において、大人が子どもに加えた非道・非人間的な事態のうち、これほどの例を私は他に見ることができない。道は、きわめて長きにわたって子どもの遊び場であった。子どもは道の先住民であって、そこから子どもを駆逐した事実は未曽有のものである。

 にもかかわらず、歴史的事件とさえ言えるほどに劇的に、その道が遊び場として不適と見なされるに至った最大要因は、この数十年間に進行したモータリゼーションである。いや、その規模から言えば、つまり日常生活のすみずみに、あるいは人々の基本的な行動様式・意識にまで及んでいるという点から言えば、「過剰」とも言えるモータリゼーションである。これまでの社会が――直截に言えば、自らの利益を重視し子どもへの負荷を埒外に置いた大人たちが――過剰モータリゼーションの是非をほとんど満足に問わなかったために、ある意味で非常に奇怪なこうした事態が生まれたのである。

 そもそも、歴史的にみて道は、遊び場のみならず多様な社会的機能を有していた。基本的には道は地域と地域を結びつける交通・交流の場であったろうが、同時にそれは地域に生活する人々が互いに出会い、互いに意思疎通・交歓をする場でもあった。

 そしてこれは、子どもにとっては、道は遊びの場であり遊びへといざなう場であることを意味する。子どもは大人が他の大人と出会う以上に道で他の子どもと出会い、そこで遊び、また他の遊び場へと散っていく。道は子どもにとって遊び場であると同時に、遊び場と遊び場とを結びつけるネットワーク空間でもあった。 (つづく)

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筆者

杉田聡

杉田聡(すぎた・さとし) 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

1953年生まれ。帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)。著書に、『福沢諭吉と帝国主義イデオロギー』(花伝社)、『逃げられない性犯罪被害者——無謀な最高裁判決』(編著、青弓社)、『レイプの政治学——レイプ神話と「性=人格原則」』(明石書店)、『AV神話——アダルトビデオをまねてはいけない』(大月書店)、『男権主義的セクシュアリティ——ポルノ・買売春擁護論批判』(青木書店)、『天は人の下に人を造る——「福沢諭吉神話」を超えて』(インパクト出版会)、『カント哲学と現代——疎外・啓蒙・正義・環境・ジェンダー』(行路社)、『「3・11」後の技術と人間——技術的理性への問い』(世界思想社)、『「買い物難民」をなくせ!——消える商店街、孤立する高齢者』(中公新書ラクレ)、など。

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