2017年06月05日
ルディジェ学長の巧妙な勧誘だけが、「ぼく」をイスラム教への改宗に導くのではない。「ぼく」がイスラムに惹かれるもう一つの理由は、多分にエキゾチック/異国情緒的な、一夫多妻制への性的ファンタジーだ(とウエルベックは皮肉たっぷりに書く)。
すなわち、「ぼく」はルディジェの二人の妻を目にして、彼が料理には40代の妻を、他のことには15歳の妻を、もしかしたら後一人か二人、その中間の年齢の妻を持っているかもしれず、それは何ともうらやましいことだなどと、思いめぐらす(『服従』単行本253頁:むろん、イスラム教国では一夫多妻制は富裕な者の経済的義務という性格が強いが、大学教授は作中のイスラム新政権下で高給で待遇されることも、「ぼく」が改宗を決意した理由のひとつ)。
こうした「ぼく」の能天気な性的ファンタジーは、前半でイスラム政権誕生を予感する「ぼく」の独白の中に、すでに顕著に表れている。
「ぼく」はそこで、イスラム政権下では、パリのどのブティックが生き延びるだろうかと、あれこれ予測する――10代女性対象のファッションブランド「ジェニファー」は寿命が長くあるまい、イスラム教徒の10代女性にふさわしい衣服を何も提供していないのだから。反対に、ブランド下着をアウトレット価格で売る「シークレット・ストーリーズ」は心配無用、リヤドやアブダビでも大流行なこの手の店は決して否定されたことはなかったし、高級下着ブランド「シャンタル・トーマス」や「ラ・ぺルラ」も、何も問題なくイスラム政権下で営業できるだろう、と(同87頁)。
ついで「ぼく」の、サウジ女性と西欧の女性の衣服の対比をめぐる、エロチックかつ異国情緒的な夢想をまじえた文明・風俗批評めいた思いが、冴えた筆致で記される――「裕福なサウジ女性はまったく中を見ることができない黒いブルカに日中は身を包み、夜になると極楽鳥に姿を変え、ガーター付きビスチェ、透かし模様のブラジャー、華やかな色のレースと宝石に彩られたストリングを身につけるのだ。西欧の女性は、それとは逆で、日中は、社会的ステイタスが掛かっているから上品かつセクシーに装い、夜家に帰ればぐったりと疲れ切って、魅力を振りまこうなんて考えを放棄し、だらだらとリラックスした服に着替えるのだ」(同87頁)。
<西欧の凋落/疲弊>というウエルベック的モチーフが、ファッション論ないしライフスタイル論として――ウイットに富んだアイロニーとともに――書かれるところが、なんとも芸が細かく、うならされる。
そして『服従』のラストは、イスラム教徒に生まれ変わり、晴れてパリ・イスラム大学の教授となった「ぼく」が、“服従”を完了させ自分の今後を多幸症的に想像する、というハッピーエンド(?)だ――「何か月か後、講義が再開され、ヴェールを被った、可愛く内気な女子学生たちが登校してくる。〔……〕女子学生たちは皆が、どんなに可愛い子も、ぼくに選ばれるのを幸福で誇りに思うに違いないし、ぼくと床を共にして光栄に思うだろう。彼女たちは、愛されるにふさわしいだろうし、ぼくのほうも、彼女たちを愛することができるだろう。/それは第二の人生で、それまでの人生とはほとんど関係ないものだ。/ぼくは何も後悔しないだろう」(同289頁)。
このように「ぼく」は、呆れるほど他愛もなく、イスラム政権下での大学教授職を自分の性生活にとって好都合なものとして思い描く
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