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子どもにとっての遊びの意義

 前稿でも触れたように、「遊び」は、大人にとってのそれとの類推から、何か気楽な、価値のない営みであると、少なくとも大人が真剣にその実現を図る責務があるとは感じない営みであると、理解されているようだ。大人においては、「余暇」の重要性が自覚されるようになった今日においてさえ、遊びは、仕事の下に位置する、第二義的、第三義的な意味をもつ(時に不健全な)営みと理解されるのが普通である。

道路で遊ぶ子どもたち拡大道路で遊ぶ子どもたち=1965年
 だが、子どもにとって遊びは、その生(生活・人生)と直結した最重要な営みの一つである。子どもが大人になるために、不可欠な営みである。

 第1に、子どもは、遊びを通じていろいろな出来事に出会い、社会の成り立ちを知り、そのルールを身につけ、教科書的な知識を実体験で裏付けさせ、また体力を増進させる等の経験をする。つまり子どもは遊びを通じて成長・発達する。

 ルソーは、プラトンの『国家』に言及しつつ、ある程度の歳になるまで、子どもは遊ばせてさえいれば――ルソーは遊びを「事物の教育」の一つとして重視する――十分だと示唆していた(ルソー『エミール』河出書房新社、90頁)。今日的に見て、それだけでは不十分だと見えたとしても、しかし遊びが多様な事柄にたいする理解を導き、子どもの成長・発達に大きく寄与する点を、ルソーがたくみに論じえた点は疑いがない。

 すなわち遊びは、子どもの「基本的な社会的能力・創造力・運動能力などの育成・獲得」に、またさらに「経験の拡大と充実」のために欠くことができない(藤本浩之輔『子どもの遊び空間』NHKブックス、3頁、16頁)。遊びが子どもの成長・発達にとってもつ意味は、非常に大きい。この意義を、「子どもの遊ぶ権利のための国際協会」(IPA)は、遊びは「栄養や健康や住まいや教育」と同様に子どもの生活に不可欠であり、子どもの「体や心や感情や社会性を発達させ〔る〕」との理解を通じて、確認している(深作拓郎編『地域で遊ぶ、地域で育つ子どもたち――遊びから「子育ち支援」を考える』学文社、52~53頁)。

 第2に、特に幼い子どもにとっては、遊びは自立を助ける重要な契機である。幼い子どもは、最初は親の足元で遊ぶ。だが、じょじょに親から離れ始める。そして子どもは、親が、あるいは親の家(自分の家)が見えるところで遊ぶ。次は、親や家が直接見えなくても、少し移動さえすれば見えるところで遊ぶ。そして次は、より遠くに離れて遊ぶ。

 こうして子どもが不安を感じずに親元から離れることができるのは、遊びのおかげである。いずれの場所でも、幼い子どもは遊びに夢中になることで、自立に伴う不安を払拭できる。遊びの能力は、天が子どもに与えた賜物である。

理想的な遊び場としての道

 そのように、じょじょに親元から離れることを可能にするためには、いったい遊び場はどこにあるのが望ましいだろうか。

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筆者

杉田聡

杉田聡(すぎた・さとし) 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

1953年生まれ。帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)。著書に、『福沢諭吉と帝国主義イデオロギー』(花伝社)、『逃げられない性犯罪被害者——無謀な最高裁判決』(編著、青弓社)、『レイプの政治学——レイプ神話と「性=人格原則」』(明石書店)、『AV神話——アダルトビデオをまねてはいけない』(大月書店)、『男権主義的セクシュアリティ——ポルノ・買売春擁護論批判』(青木書店)、『天は人の下に人を造る——「福沢諭吉神話」を超えて』(インパクト出版会)、『カント哲学と現代——疎外・啓蒙・正義・環境・ジェンダー』(行路社)、『「3・11」後の技術と人間——技術的理性への問い』(世界思想社)、『「買い物難民」をなくせ!——消える商店街、孤立する高齢者』(中公新書ラクレ)、など。

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