末延芳晴(すえのぶ・よしはる) 評論家
1942年生まれ。東京大学文学部中国文学科卒業、同大学院修士課程中退。1973年から1998年までニューヨークに在住。2012年、『正岡子規、従軍す』で第24回和辻哲郎文化賞受賞。『原節子、号泣す』(集英社新書)、『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(平凡社)、『夏目金之助ロンドンに狂せり』(青土社)など著書多数。ブログ:「子規 折々の草花写真帖」
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
父の裏切りに激怒する原節子
[15]再び「子殺し」「親殺し」考 『晩春』8――能楽堂のシーンが表出するもの
[16]再び「子殺し」「親殺し」考 『晩春』9――原節子自身の内側から立ち上がってくる「親殺し」の主題
父と隣り合って、能楽堂の正面桟敷席に坐り、『杜若』の演能を鑑賞するなか、父親の笠智衆が、斜め向かいの席に、父の再婚相手と、叔母の杉村春子から聞かされていた「三輪の小母さま(三宅邦子)」が端然と正座し、舞台に見入っているのに気づき、軽く会釈を送ったのに気づいて、原節子は、二人の顔を交互に見比べながら、訝(いぶか)りの気持ちから、不安、嫉妬、怒り、敵対心、復讐心……と様々に思いを交差させながら、結局「私にはあの女の人には勝てない。私は父から見捨てられ、一人ぽっちになってしまう……」と、絶望的な気持ちに沈み込む。
だがしかし、父親が私を見捨てようとするのなら、私の方から父親を見捨てて家を出て行ってやろう。それには、まず自立・自活していくために仕事を見つけなければならない。
幸い、友人の「アヤ(月岡夢路)」が、離婚したのにもかかわらず、英文速記の仕事をして自活しているではないか。そうだ、お能が終わったら、アヤのところに行って話を聞いてみよう。そう決意して、ようやく気持ちのうえで立ち直ることのできた原節子は、能楽堂からの帰り道、笠から「多喜川でご飯でも食べて帰ろうか」という誘いを断り、そそくさと砂利道を反対側に渡り、振り返りもせずに足早に立ち去って行く。
その原節子の決然とした振る舞いが、父親から自立して自分の力で生きて行こうとする、戦後、前近代的な家父長的家族道徳意識と規範から解き放たれた日本の若い女性の共同意識、あるいは意志の表明であることは間違いない。
さて、画面は、そのあと、アヤ(月丘夢路)の住む豪華な洋風邸宅の2階の応接間に切り替わり、原節子は独り椅子に腰を下ろし、うつむいて物思いに沈んでいる。
このシーンで見落としてならないのは、最初のショットでは、原はややうつむき加減で物思いに耽っているが、その眼には涙は浮かんでいないこと。ところが、次の空ショットで、白を基調とした広々とした洋風のゲストルームの入口のドアと壁や、その右横に立つ大きなウェストミンスターの時計の振り子がユックリと左右に揺れているのが映し出され、ややあって再びカメラが原の顔を、一つ前のショット(【写真3】)と同じ角度と構図から映し出すなか、【写真4】に見るように原の右(画面に向かっては左)の目の下瞼に一粒涙が浮かんでいることである。
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