マーク・ロベルジュ 著 神田昌典 リブ・コンサルティング 監訳 門田美鈴 訳
2017年06月26日
カリスマ的なマーケターとして知られる神田昌典さん。これまでも海外からいろいろなマーケティング手法を紹介してはベストセラーにしておられる方ですが、そんな神田さんが本書を通じて紹介するのが、「インバウンド・マーケティング」なる代物です。
『アクセル——デジタル時代の営業 最強の教科書』(マーク・ロベルジュ 著 神田昌典 リブ・コンサルティング 監訳 門田美鈴 訳 祥伝社)
さて本書を開くと、読みやすい翻訳と字組みのもと、実例豊富に「インバウンド・マーケティング」がいかにして実現されるか解説されており、とても刺激的であります。さっそく、その主張を要約してみましょう。
これまで飛び込み営業やテレアポやDMでやっていたことは、「アウトバウンド・マーケティング」。いまどきの顧客がそれで購入する確率は低い(そりゃそうだ)。ならばデジタルを駆使して、見込み客を獲得せよ。見込み客とは、自社のサービスを検索した人や、ブログにアクセスした人や、あるいは無料サンプルを入手した人たち。こうした見込み客を、会社のマーケティング部門は顧客になりそうな順に(つまりカネになりそうな順に)分類し、メールなどの案内を通じて「育成」する。生みそうなカネの期待値が一定以上になった見込み客は営業部門に引き渡され、今度は電話攻勢でアポを取り、契約につなげる(大手企業の担当者のアポを得るまでは、10回以上留守電にメッセージを残したほうがいいとデータが出ているそうです)。かくして売り上げも爆上げ、これこそが「インバウンド・マーケティング」だ、という次第。
本書では、その見込み客を獲得する方法も親身に解説しています。自社の製品について常に情報を発信せよ。SEO対策をおこない、検索結果の上位を狙え。見込み客の悩みの解決に役立つPDFを無料でダウンロードできるようにせよ。情報発信やPDF制作のためにジャーナリストを雇え。などなど。
ほかにも採用面接の秘訣や研修の「べからず」集など、読んでいて思わず膝を打つような指摘も満載な本書、楽しく一気に読み終えました。
ですが本質的ではないところで、どうも疑問が残るのです。電話をかけまくる営業はダメだと言いつつ、結局は最後に電話をかけまくっているのがよくわからない。本書の著者マーク・ロベルジュさんも、何者なのかよくわからない。もちろん本書には、営業経験ゼロのエンジニアから、科学的にさまざまな手法をトライ&エラーすることで、勤める「ハブスポット」社を巨大企業にした、と書いています。
ですがこの人がいつも何をやっているのかよくわからないし、そもそもハブスポットなるところが売っているものもよくわからない。BtoBで、顧客獲得のシステムを売っているらしいのですが……。
というところで、格好の暴露本が出されました。その名も『スタートアップ・バブル――愚かな投資家と幼稚な起業家』(講談社)。著者は『アクセル』で言及された、見込み客獲得のためにハブスポットに雇われたジャーナリストです。
でもこの人、50歳オーバーで観察力も批判精神も旺盛な、文字通りのジャーナリストだったもので、私が抱くような疑問をそのままにしてくれません。もうブーメラン覚悟でがっつり暴露しまくり、最後は自爆に近い展開になるという、実に面白い物語が展開されます。
そのなかで彼は、「急成長するIT企業は、要するに株式公開のおりに創業者と投資家が大儲けするための道具にすぎない」と喝破します。高値で株を売り抜くには、実体に乏しい商品であってもとにかく売りさばいて会社の規模を大きくしなければならない。そのために大量の「意識高い系」若者を雇って数年で使い潰しているのだ、というのです。
『スタートアップ・バブル』が解説するハブスポットのビジネスは、以下のようなものです。まずハブスポットは、自社のサイトに来訪した人をトラッキング(追跡)できるようにしている。そのため、同社のサービスに関心を持った人は、いつしか大量のメールを送られ、電話番号などを登録するよう誘導される。登録してしまった人はハブスポット内のシステムで顧客になる確率が上がったと判断され、今度は電話営業の攻勢を浴びることになる。
そして買わされるのが、ここまで述べた一連のプロセスです。同書によれば「ジャンクメールをばらまく作業の自動化ツール」。私の解釈では、『アクセル』に書かれた顧客獲得のプロセスをいい感じで落とし込んだソフトウェア、ということなのでしょう。
こうなると、最新のマーケティングとかいっても、結局はブラック企業みたいなことを、若者の「やりがい搾取」で展開しているだけなのね、とシニカルな感想を抱いてしまいたくなります。
ですが、そう簡単な話でもありません。『アクセル』と『スタートアップ・バブル』、両書の内容は矛盾していないのです。描写が重なる箇所はほとんど存在せず、どちらの著者も、もう片方の本には登場しません。作り手側の配慮もあったのでしょう。
また、『アクセル』で私が抱いた疑問が(かなりガッカリな形で)解決されたところで、同書に書かれた手法の有効性が激減するわけでもありません。
それゆえ、営業・マーケティング手法を徹底的に解説した『アクセル』も、現場のデタラメぶりを徹底的に暴いた『スタートアップ・バブル』も、それぞれ説得力ある本として、私の目には映ってしまうのです。
ということで今回の読書体験で、私は「記事を広めるには『アクセル』の手法を参考にする」「取材のときには『スタートアップ・バブル』の切り込み方を参考にする」ことができるようになりました。2冊セットで知見を豊かにできて、めでたしめでたしです。
と思ってよく本を見ると、どちらも装丁は同じデザイナーでした。ヒットしたビジネス書を多く手がけた、実力ある方です。そのデザイナーが全然違うテイストで「教科書」と「暴露本」の装丁を仕上げるとは、見事な仕掛けです。インバウンド・マーケティングを施されたわけではないのに、私はあざやかに2冊の本の顧客へと誘導されてしまったわけですね。
話がきれいにおさまったので、つい関係者に事情を聞いてみると、「デザイナーが重なったのは単なる偶然ですよ」とのこと。「よくできた話」は「単なる結果論」なこともある、と最後にもう1つ賢くなりました。ではお後がよろしいようで。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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