NHK「新・映像の世紀」プロジェクト 編著
2017年07月03日
2015年10月から2016年3月にかけて、全6回にわたって放送されたNHKスペシャル「新・映像の世紀」。世界各国のアーカイブス映像を用いて20世紀という時代を描き出したこの作品には、歴史番組にありがちな学識者のコメントやインタビューなどはいっさい含まれない。全編をつらぬくのは、同時代に記録されたさまざまな現場の“動く映像”であり、それぞれの時代を生きた人々のなまなましい証言である。
こうした構成により、本作は、製作者の言葉をかりれば「歴史を“学ぶ”ものから、よりリアルに“体感”するものとして描く」ことに成功している。番組を盛り上げる加古隆の重厚な音楽は、いちど聴いたら耳から離れない。前シリーズの「映像の世紀」(全11回、1995~1996年)とあわせて、視聴した人も多いだろう。
『NHKスペシャル 新・映像の世紀 大全』(NHK「新・映像の世紀」プロジェクト 編著 NHK出版)
アーカイブスから抽出した約1000点の画像にテキストが添えられ、各章冒頭の「総論」および複数のコラムで理解を深めながら番組内容をたどることができる。
A4判変型(260×210mm)・見開き単位で展開する誌面はさながら「歴史図鑑」のようであり、モノクロ画像のモンタージュが見る者の想像力を喚起する。
もちろん、動く映像のリアリティ、もとの番組の迫力に比べれば、本書はいかにも物足りない、と言ってしまいたい思いがないわけではない。しかし、読み進んでいくにつれ、本書は本書で独立した、念入りに編まれたすぐれた歴史書であることに気がつくのである。
周到に配置されたキャプチャー画像、それに呼応する的を射た見出し、簡潔であるがゆえにかえって歴史の奥行きを感じさせる解説文。引用にも執筆者たちの見識がひかる。
たとえば第一次世界大戦に関し、「ドイツ軍などあっという間に蹴散らすことができると新聞が煽っていた。みんなそう信じていたし、クリスマスまでには戦争が終わると思っていた。友人たちは競って志願した。私も17歳で志願兵になった」(元イギリス兵)。あるいは、「ナチスが最初、共産主義を攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。ナチスがユダヤ人を連行していったとき、私は声を上げなかった。私はユダヤ人ではなかったから。そしてナチスが私を攻撃したとき、私のために声を上げる者は誰一人残っていなかった」(反ナチス運動家マルティン・ニーメラーの言葉から生まれた詩)。有名・無名の人々、出来事をとおして、20世紀のあゆみを大きく、ときに細部からつかんでみせるのが見事だ。
それにしても世界史とは、かくもおぞましき何物かなのだろうか。おびただしい死、底知れぬ暴力、盲目的な熱狂、飽くなき強欲。1920年代、未曽有の好景気にわくアメリカの様子なども、歴史のパノラマのなかに置かれてしまえば、苦さを伴わずにはいない。圧倒的な生産・繁栄は、のちの盛大な破壊のために用意されたものではないかと訝しくなる。
〈資本主義への幻滅は、「ファシズムの扉」を叩いた〉〈独裁者は、民主主義のなかから生まれた〉〈世界は、秘密と嘘に覆われた〉〈「巨大な壁」が、何万もの家族を、引き裂いた〉
いずれも本書の見出しである。だが21世紀、現代の世界をも指さした言葉のように思えてならない。歴史は予言する。20世紀同様の事態が、より苛烈なかたちでわれわれのもとにやってくる。そのような予感を本書は携えている。
革命から5年後、飢えと寒さで命を落としたロシア難民はおよそ900万人にのぼったが、このとき欧米諸国はソビエトへの経済援助が共産党政権に流れることを懸念し、積極的な支援に乗り出すことはなかったという。現在のシリア、北朝鮮などに対する世界の対応はどうか。
1929年、米大統領に「未来は輝いており、わが国は世界最強の経済状態にあります」との報告書が提出された5日後に「暗黒の木曜日」が到来し、アメリカは大恐慌の海に沈んだ。いま、好景気がもろくも崩れ去る予兆は、はたしてないか。
すぐれた歴史書は、過去だけでなく未来について多く何かを教えてくれるものだ。フィルムからデジタルになり、誰もが撮影者となってあまねく映像が伝えひろがり、人間のみならず監視カメラや無人撮影機などの機械が人々の一挙手一投足を記録する時代、これからの映像そして私たちの世界はどうなっていくのだろうか。
この本のなかから、来るべき歴史の種をひろい、ためつすがめつ眺めるといい。巻末の「映像史」年表も、とくと読んでみる価値がある。仮にそのほとんどが悲惨を暗示していたとしても、その行為には意味がないわけではない。
最後に。本書によれば、第一次大戦における日本軍の戦闘は、撮影された形跡があったものの、決定的な動画は見つからなかったらしい。シベリア出兵、ロシアの村々での赤軍掃討戦、軍需によってバブル景気にわく東京などの映像も、同様にほとんど残っていないという。だが、こうした欠落があったとしても、もしできうるならば、「映像の世紀 日本編」が見てみたい。そこにはどのような自画像が浮かび上がるのだろうか。製作を期待する。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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