木下直之 著
2017年07月03日
何を隠そう、――いや、アソコは全然隠されていないのだが――股間の本である。版元である新潮社のサイトには「メイク・コカン・グレイト・アゲイン!」とある。
本書は奇書として名高い(?)『股間若衆――男の裸は芸術か』(新潮社)の続編。駅前や文化会館、体育館前にある男性の裸体彫刻(=股間若衆)を探しての全国巡礼の成果だ。
もちろん著者の関心は、彫刻にとどまらず、裸体の中でも股間、はっきり言ってしまうが、「性器」とその周辺にある。そこで、アダムとイブのヨーロッパ絵画、局部を隠したイチジクの葉っぱ、日本で描かれたアダムとイブ、『解体新書』の扉絵にある裸の男女、アンデルセン童話の『裸の王様』、鎌倉の鶴岡八幡宮に置かれた女性器に似た巨大な石、全国にある男根信仰などなど、古今東西、津々浦々の股間表現が紹介される。
股間がいかに隠され、いかに露出していたか。その歴史的背景とウンチク、多数の楽しい写真。町なかに当たり前のように立っていた、しかし気にも留めていなかった裸体彫刻が忽然と違った姿で見えてくる。ジョーシキが揺るがされる。
著者はアダムとイブが禁断の樹の実を食べて以来、「人類は股間を明るく語ることができなくなってしまった」というが、この人類史に抗うかのような軽妙洒脱な文体で、何度も笑わせてくれる。「いつも、どこからかはみ出してしまうものを追いかけてきた」著書の「ゆるふん」的生き方があふれている。
ただ、笑ってばかりもいられない。藤田嗣治の『アッツ島玉砕』と、水木しげるの『総員玉砕せよ!』に描かれた「ゆるふん」姿の兵士たちの戦争表現を比較し、人間と向き合うことにおいて、玉砕の現場を体験した水木しげるに軍配をあげる。そして丸木位里・俊の『原爆の図』にある被爆者の股間を凝視する。彼らは原爆で衣服を引き裂かれ、焼かれて裸にされた、綺麗事では済まない、と文章に怒気が込められる。
こういう作品に接すると、誰にも股間=性器があるという当然の事実を忘れ、表現の背景にある戦争や兵士、被害者について、得てして抽象的に思考しがちだが、ここでも作品鑑賞のジョーシキが揺さぶられる。人間の肉体を正視しなさい、コカン・ファースト!と突きつけられたかのようだ。
そして、本書のもう一つの核心。江戸期から現在までの美術界と、旧態依然とした社会のありようが、「曖昧模っ糊り」((c)著者)どころか、あけすけに表れてくる。そういえば、私が子どもの時分、ズボンのチャックを「社会の窓」なんて呼んのだった。今にして思えば、実に言い得て妙なネーミングである。
そもそも性器とはどこからどこまで性器なのかもわからない、と著者は疑問をなげかける。かつて明治期には、両股を閉じ、陰毛さえ描かなければ、裸体であってもほかの油絵と同じという、「油画原則」があったという。
だが、黒田清輝(実にできすぎた画名!)などは「小さな考をして居る日本の小理屈先生方」などほとんど相手にしなかった。それ以前、「笑い絵」と呼ばれた春画の作家たちにしても、実に楽しげな春画を描いた19世紀の河鍋暁斎にしても、表現者たちはずっと「コカン・グレート」と訴えるかのように、股間にまつわる世間の通念をずらしてきたのだ。
大英博物館の春画展を逆輸入したかのごとく、2015年に日本でもようやく大規模な春画展が開催され、大盛況だったのは記憶に新しいが、こと日本の美術表現に関しては、股間はいまだに容易に隠蔽されるべきものでもある。
1901(明治34)年、黒田清輝が出品した「裸体婦人像」が、猥褻という理由でその下半身が布で隠された。この美術史上の「世紀(せいき)の事件=腰巻事件」から110年以上たった2014年、愛知県美術館の展覧会で、写真家・鷹野隆大の男性ヌード作品に対し、市民の通報で(!)警察が乗り出し、結局、腰から下を布で覆い隠す措置が取られたことがある。そして同じ年、自分の性器をモチーフにして作品を発表してきた、美術家・ろくでなし子が逮捕された。
ろくでなし子裁判、「女性器」はわいせつ?(WEBRONZA)
本書には彼女の裁判で提出した著者の「意見書」も収録されているが、ここに日本美術と性表現の歴史、そして「腰巻き事件」から1世紀たってもマニュアル通りに対応してくる公権力の四角四面さが喝破されている。
股間に向き合わずして、社会も時代も語れない、と私はすっかり熱くなっている。私的な空間では平気で晒しながら、公共空間では、「品がない」と蔑まされ、タブー視され、隠蔽/露出のせめぎ合い、堂々巡りが繰り返される。こんな何とも特異な存在をあらためて考えさせる貴重な書物である。著者は「週刊読書人」(2017年6月2日付)で、この本は猥褻画像が満載だから当局の摘発がありえます、と語っている。そんな「せいきの大事件」が起こらないことを!
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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