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悲劇の隣にある楽園

映画「海辺の生と死」

中沢けい 小説家、法政大学文学部日本文学科教授

 島尾ミホ「海辺の生と死」、島尾敏雄「島の果て」などを原作とした映画「海辺の生と死」を試写で見た。

異界との境界の島でしか見ることができない風景

加計呂麻島のデイゴ並木
 太平洋戦争終戦末期、奄美・加計呂麻島に配属された海軍特攻部隊隊長と島の旧家の娘トエの恋を描く映画の冒頭で、すばらしく美しい蘇鉄の実が画面いっぱいに現れる。赤く熟した実が白い和毛に包まれぎっしりと密生する。その質感が忘れられない画面だ。海の向こうは琉球という異国である南海の国境の島でしか見ることができない充実した蘇鉄の実り。異国と異界の境界がそこにある。異界は神々の住処であり、異界の隣の島もまた神々が往来する土地である。

 南海の美しい蘇鉄の実を画面いっぱいに映し出した映画に登場する島の旧家の娘トエは、独特のイントネーションで小学校の子どもたちに鳥の声に耳を傾けるように注意を即する。この独特のイントネーションが耳に心地よく、さらに波の音、風の音が重なってゆく。島の空間が画面いっぱいに描き出されるこの映画は、同時に島の音の世界も切り取っている。鳥の声、たえず波の音が聞こえる。樹木を揺らす風の音がする。波の音と風の音がする森を歩くトエと小学生の前に白い軍服の将校が現れる。南海の楽園のすぐ隣ですでに戦争末期の死闘が始まっていることを私は知っている。かつての異国、琉球処分によって大日本帝国に組み込まれた沖縄では「鉄の暴風」と呼ばれた米軍によるすさまじい攻撃と、激しい抵抗で米軍にも大きな犠牲が出た戦闘のさなかの平和であることを、この映画は意識している。おそらくこの映画に興味を持つ多くの人は、南海の楽園の隣に沖縄戦の地獄があることを常識として知っている。

 トエと小学生の前に現れた朔中尉は明日から別の道を通って通学するように告げる。文明の地獄が南海の楽園にも近づいていることを告げる場面だ。異界のすぐ隣にあり神の住処でもある島の峠道に樹幹から降り注ぐ光の感じが、かつて沖縄の霊力高い(せじたかい)久高島の御嶽(うたき)にそっくりだった。男子禁制の久高島の御嶽に私は入ったことがある。久高島の白っぽい一本道を歩いていると、森の中へ続く細道があった。なんということはなしにその道へ入り、突き当たりの香炉がひとつだけ置かれた円形の広場があった。頭上から木漏れ日が降り注ぎ、波の音が聞こえる心地よい広場だった。35年ほどまえ、東松照明さんの撮影に同行させてもらった時のことで、広場のことを東松さんに話すと「それは御嶽だ」と教えてもらった。男子禁制だが、女性だから問題はないだろうということだったが、気になったのは、その時、私は妊娠中だった。妊娠は禁忌にならないのだろうかという疑問が残ったので当時の久高ノロさんに一部始終をお話したところ、「それは向こうで呼んでくれたのだから気にしなくともよい」という趣旨の言葉をもらって安堵した。トエと朔中尉が出会う道は、南島の常緑樹の木漏れ日と涼しい風が吹く道だった。

 沖縄戦を伝える新聞記事や上空を飛ぶ米軍機が文明の地獄を暗示させる表現なら、朔中尉とトエの父親が語り合う場面は文明の光を感じさせる場面だ。朔中尉はトエの父親の蔵書から古事記を借りる。酔って軍歌を歌う将校と兵士たちからひっそり離れ「僕はあんな歌よりもこの島の歌を覚えたい」と言う朔中尉だった。トエたちの言葉のイントネーション、画面に響き続ける波の音、風のざわめき、耳の心地よい耳の喜びに満ちたこの映画の中で、将校と兵士の歌う「同期の桜」のダミ声だけは荒廃した音として鼓膜に刺さった。

多彩な表情を見せ、霊力高さを感じさせる、満島ひかり

 トエは「トエ先生」と呼ばれている。朔中尉はトエへの手紙に「トエ殿」と書く。ヒロインを尊重するこの呼称がほっそりとしたトエを演じる満島ひかりの容姿によく似合う。神と人、異界と現実の世界、

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