メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

「駄右衛門花御所異聞」は市川海老蔵の集大成

「昔ながらの歌舞伎」を「昔ながらの方法」で、かつ新しく

中川右介 編集者、作家

市川海老蔵・座頭「七月大歌舞伎」で起きた大事件――祖父、十一代目團十郎も果たせなかった「静かなる革命」

二代目市川齋入襲名披露

 7月の歌舞伎座の昼の部は「矢の根」で始まる。これには海老蔵は出演しないが、この演目は、市川家の「家の藝」たる「歌舞伎十八番」のひとつだ。主役の曽我五郎は1月に襲名したばかりの市川右團次がつとめた。

市川海老蔵(右)と市川齊入を襲名する市川右之助市川海老蔵さん(右)と市川齊入を襲名した市川右之助さん
 次が「加賀鳶(とび)」で、海老蔵は2役。父・十二代目團十郎が何度も演じた役で、海老蔵としては初役だ。この演目は、海老蔵の一門の重鎮で名脇役の市川右之助の二代目市川齋入(さいにゅう)襲名披露でもある。

 市川右之助は、二代目右團次の孫にあたる。祖父が1936年に亡くなった後、父が役者を廃業したこと、女形となったことなどの理由で、右團次を襲名していなかった。その名跡を、市川右近に譲ったのが、今年の1月の右近の三代目右團次襲名だった。これは海老蔵が思いつき、父十二代目が存命中に決めたのだという。

 こうして右團次は復活したが、そうなると右之助がいつまでも右之助というのもおかしい。「右之助」の名は「右團次」より格下だからだ。そこで初代右團次が晩年に名乗った齊入を二代目として襲名することにしたのだ。

 昼の部最後は「連獅子」で、海老蔵が親獅子、坂東巳之助が子獅子。巳之助もまた父・十代目坂東三津五郎を2015年に失くしている。海老蔵は何度か三津五郎とは共演し、新境地を開かせてくれた恩人でもあるので、その恩返しとしての起用だろう。巳之助は夜の部も活躍する。

一門のトップ・海老蔵が推し進めていること

 このように昼の部では、1時間前後の、何の関係もないものを3演目並べるという、ここ100年くらいで作られた伝統的な興行形態をとった。

 しかし、夜の部ではひとつの作品を最初から最後まで見せるという、他の演劇では当たり前だがいまの歌舞伎では珍しく、あえて「通し狂言」と銘打つ興行とした。もっとも、徳川時代にはこれが当たり前だったので、真の伝統へ回帰したとも言える。

「駄右衛門花御所異聞」。海老蔵の日本駄右衛門 (C)松竹「駄右衛門花御所異聞」より。市川海老蔵の日本駄右衛門 (c)松竹
 夜の部「駄右衛門花御所異聞」は、ここ数年の海老蔵の活動のひとつの集大成となるものだった。

 父を失くしてからの海老蔵は、着々と自分の劇団ともいうべき一座をつくるべく布石を打っている。

 一門のトップ、そして座頭たる者は、自分の藝を磨くだけではだめなのだ。一門や客演してくれる役者の置かれているポジションを見極め、配慮し、盛り立てていかねばならず、いわゆる「役者バカ」ではつとまらない。

 海老蔵が推し進めているひとつは、

・・・ログインして読む
(残り:約1840文字/本文:約2900文字)