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[書評]『子規の音』

森まゆみ 著

松本裕喜 編集者

町の音から子規を読む  

 今年は子規・漱石の生誕150年である。記念切手が発売され、方々で展覧会も催されている。そのわりには出版の世界でめぼしい本が出ていないのではないか、そう思いつつこの本を読み始めた。

『子規の音』(森まゆみ 著 新潮社) 定価:本体2100円+税拡大『子規の音』(森まゆみ 著 新潮社) 定価:本体2100円+税
 35年の子規の生涯は研究しつくされていて、そう新しいことは出てこないはずだ。この前提がまず崩された。

 著者は長く「谷根千」(地域雑誌「谷中・根津・千駄木」)の編集に携わり、鷗外や一葉などを書いてきた人だ。つまり、子規の住んだ東京の土地(神田、向島、本郷、谷中、根岸)へのなじみが格段に濃いい。土地勘といったらいいのか、この森さんの町の知識が、子規とその時代の東京の記述に厚みを増しているように思える。

 叔父の加藤拓川に許されて明治16年6月に上京した子規は、故郷松山の旧友の間を転々としたあと神田に落ち着き、駿河台にあった共立学校で英語、数学、漢学などを習う。共立学校は開成学園の前身で、当時の校長は高橋是清だった。いまは西日暮里にある開成学園には子規や秋山真之の学籍簿が残っているという。

 高橋是清は13歳でアメリカへ渡った後、唐津藩の藩校でのちに建築家となる辰野金吾(東京駅や日銀本店を設計)、曾禰達蔵(慶大図書館や東京海上ビルを設計)を教えたとの記述もある。言葉は悪いが、こうした著者の雑学的教養が時代の背景を浮かび上がらせてくれるのだ。

 開成高校といえば、いまや俳句甲子園や神奈川大学高校生俳句大賞での入選常連校だが、これも遺伝子のなせる業なのだろうか。

 翌17年3月、子規は旧松山藩主久松家の常磐会給費生となり、月7円の支給を受けた。9月の大学予備門の入試では、共立の仲間が難しい英語の単語などを順送りに伝えてくれ(カンニングである!)、子規はこれに合格した。田舎から出てきて1年余で大学予備門の試験に受かるのは珍しく、のちの庇護者・陸羯南(くが・かつなん)も驚いたらしい。同級生には、夏目漱石、南方熊楠、芳賀矢一、山田美妙らがいた。

 子規はこの大学予備門(途中で第一高等中学校と改称)から東京帝国大学時代を通じて頻繁に松山に帰省している。汽車と船を乗り継いで3、4日はかかる当時の旅行は、肉体的にも金銭的にも大変だったろう。

 貧乏士族の家に生まれ、明治5年、5歳の時に父親を亡くした子規に、どうしてそうした旅行が可能だったのか。森さんは子規の経済事情も説明してくれる。

 廃藩置県のさい正岡家には1200円の家禄奉還金が下りた。この資産を叔父の大原恒徳らが上手に管理し、正岡家の暮らしと子規への仕送りを支えていたのである。金遣いの荒かった子規はこの身代を食いつぶしていたのではないかと夏目漱石などは見ていた。このあたり、俳人・俳文学者の子規の本には全く出てこない記述である。

 この間、子規は東京の下宿屋や学生寮を転々とする。明治16年6月、日本橋区、赤坂区、また日本橋区に戻ったあと神田区、17年夏には牛込区、神田区、18年夏には麹町区、神田区(前と同じ下宿)、19年夏には麻布区、神田区、20年4月、一橋外の第一高等中学校寄宿舎といった具合である。これには旧松山藩士族の相互扶助ネットワークも背後にあって、みんなが近くに暮らし、金や食糧を貸し借りしていたらしい。

 明治18年ごろから俳句(発句)を読み始めているが、落語が好きでしきりに寄席にかよったり、ベースボールに熱中したり、小説修行に励んだり、まだ行き先は定まらない。

 漱石と知り合ったのは明治22年の春である。この本では子規と漱石の交流についての記述は多くない。秋山真之や高浜虚子との交流についても同様だが、すでに詳しく紹介されているため繰り返しを避けたか、あるいは著者にとって明治の青年たちの交友関係にはもう一つ踏み込めないものがあったか。

 明治23年9月、子規は東京帝国大学文科大学哲学科(翌年1月国文科に転科)に入学したが、大学の講義になじめず25年10月ごろ退学。陸羯南の新聞「日本」に入社し、郷里から母八重と妹律を呼び寄せ根岸の家に住んだ。

 元気なころの子規は頻繁に旅をする。旅の風物への好奇心も西行や芭蕉へのあこがれもあっただろう。明治26年夏には「奥の細道」の芭蕉の跡をたどり、紀行文「はて知らずの記」を書いた。この子規の旅をそのままなぞって森さんは旅をしているが、現代の旅の記述は私には違和感があった。

 この後、「小日本」の編集、日清戦争従軍と病状の悪化、「ほととぎす」(のちの「ホトトギス」)創刊、短歌革新へと続くが、それは本書を読んで味わってほしい。地誌的な根岸の農村風景の描写、また明治34年当時子規の家のすぐ前にあった八石(はちこく)教会(農民指導者大原幽学の衣鉢を継ぐ反文明開化路線の教団。アーミッシュに近いという)や田端の胞衣(えな)神社などのユニークな宗教施設についての紹介が楽しい。

 子規の句と歌を相当読み込んだようで、風景と日常のなかで生まれた歌句がふんだんに引かれている。「春風の断頭台に上りけり」「陽炎や火あぶりの用意頻り也」「銃殺の丸(タマ)それて飛ぶ茂り哉」などのあぶない句は、子規が「昨夜寝られず」輾転(てんてん)反側して作った句だそうだ。こういう放埓さも子規の魅力の一つだろう。

 森さんは「子規の句や歌を読むと、東京の町の音が聞こえてくる。それとともに、香華や茶舗や風呂桶屋の木の匂いがしてくる。子規を読むことは、私にとっては五感の解放であった」(あとがき)という。

 確かに、見る・聴く・嗅ぐ・味わう・触ることは人と世界との接点であり、俳句や短歌の原点でもあろう。子規の大飯ぐらいも五感の解放の一つだったのだろうか。

 まだまだ子規から聴き取れることはいっぱい残っているようだ。これからも著者には、(たとえば「律から見た子規」などを視野に)正岡子規という「奇蹟」の、光と闇を描きつづけてほしいものだ。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

松本裕喜

松本裕喜(まつもと・ひろき) 編集者

1949年生まれ。40年間、三省堂で書籍を編集。主な仕事に建築・都市をテーマにした『日本の建築明治大正昭和』(全10巻)、『都市のジャーナリズム』や、歴史・思想ジャンルの『江戸東京学事典』『戦後史大事典』『哲学大図鑑』『心理学大図鑑』など、また言葉・詩歌がテーマの『一語の辞典』『新明解故事ことわざ辞典』『三省堂名歌名句辞典』などがある。2013年退職後、俳句雑誌『鬼』編集長。本をじっくり読むのが、強み、読むのが遅いのが、弱点。