近代以来、「女を殺す」資本の戦略
2017年07月25日
大澤真幸『〈世界史〉の哲学 近世篇』」を読む――キリスト教を徹底的に内在化していった時代
ぼくたちが学校で習い、そうと思い込んでいる「世界史」のストーリーは、古代の奴隷→封建制下の農奴→資本主義社会における労働者といった、被支配層が、支配層の抑圧から解放されていくというものである。だが、実際の世界史は、そのように単純なものではなかったことを教えてくれるのが、シルヴィア・フェデリーチ『キャリバンと魔女――資本主義に抗する女性の身体』(以文社)である。
しかし、その歴史は、直線的、単線型の、漸進的な解放の歴史ではない。近代の幕開けを知らせる「市民革命」が被支配層の画期的な勝利の始まりというわけではなく、この闘争は、x軸に対して線対称なsinカーブとcosカーブのように、もっとずっと早い時期から支配層と被支配層が攻守ところを変える、極めてダイナミックな闘争だったのである。
封建制下の農民というと、日本の時代劇で悪徳な家老や代官によって搾取され苦しめられる役回りからの類推(そうした日本の紋切り型の農民像も実態からはかけ離れている可能性は高いし、そもそも大抵時代背景は江戸時代だから時期的にずいぶんズレているのだが)により、領主から搾り取られ這いつくばっている図を想像してしまうかもしれない。
だが彼らは、確かに土地使用のための貢納や賦役労働の提供を強いられ領主の法に従属していたものの、それらと引き換えに領主から一区画の土地を受け取り、自分たちのために利用していた。
そして、課せられる貢納や賦役労働が過酷なものとなるや、農民たちは立ち上がった。
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